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ランニング・スルー・マイ・ヘッド

鬱から復活に半年
久々に長引いた。
自分でも困惑するぐらいコンディションが違うので、今のうちにやれることをやっておかなければならない。
躁鬱、ではないのでテンションがハイにはならないため、割と冷静になれるのはよいことだ。
正直言って、鬱入っているときに平気な振りをするのはとても疲れる。でも平気な振りをしないと仕事が出来ないので平気な振りをして帰ってくるとエネルギーを使い果たして就寝おはようまた明日。
薬のお陰で頭は鈍ったままだし、かと言って薬飲まないと依存症状やら何やらのお陰でまともに生きてられないので結局薬。
怪我や病気と違って、精神的なものというのは突然スイッチが入るので回復期が予測できないのが困る。朝起きるとそれは終わっていた、と言う感じ。
先生の言うには、既にパターン化されているので気長に直さないとダメ、とのこと。対人恐怖症と認知障害の合体バージョンみたいなものらしい。

何が嫌かって、「生きているそれだけで素晴らしい」という言葉ほどむかつくものはない。それは狂ったテロリストでもそうなのか、と聞けばYESと答えるのだろうか。理不尽に消耗されていく命は本当に素晴らしいのか、と聞き返したくなる。
生きた先に、一体何があるというのだろう。我々は、生まれた瞬間から死というゴールへ走り続けるマラソンランナーに過ぎないというのに。
自分の人生でやり残した事というのはほとんど無いので、あとは目先目先の快楽を餌に惰性で生きていくのが目下の努め。友人の劇団の演劇を見る、とかプラモデルをいじる、とか小説を書く、とかである。
着信アリ、という映画では自分の携帯電話に断末魔の叫びが送られてくるシーンがあったが、私はあれを見て「お、便利なサービス」と思ってしまった。死ぬときが判っているなら、葬儀の手配とか預金のスライドとか色々出来る。家族が事前に準備が出来ると凄く楽だ、というのを知っているのでこの映画はホラーでも何でもなくなってしまった。
亡霊に祟られるより、突然事故死したりする方がよっぽど怖い。
それにしても葬儀というものには大変お金がかかるので面倒だ。事前に自分で般若心経を読んでテープに吹き込み、自分で戒名をつけ、いきなり永代経を上げて貰って無縁仏にでもぶち込んで貰えば後々子孫が楽だと思う。というか、たぶん我が家は私らの代で途絶えると思われるので、やっぱり無縁仏にしておくのが良いんではないかなぁ。墓作ったけど。
検体にでも登録して貰って、標本として第二の人生を歩むのも悪くない。
昨日から始めたホビージャパンのキャプチャー画像は100を軽く突破。3冊消化。ペースは遅いが内容を損なわず本を処分できるのだから、多少時間がかかるのは仕方ないか…………
あ、ちなみに使っているのは富士通の1200CUBという機種です。とりあえず、こいつが「お願い!もう闘うのはやめて!」と音を上げるぐらいこき使います。

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