shadow Line

まとめて雑感二日分。

昨日は誕生日だというのにイベント無し。仕事。
疲れたのでケーキも買わずに帰宅。
あー、ついに20代最後の一年が始まってしまった。
親には30までに嫁さん貰えとかいわれてたが無理っぽいな。この際諦めて貰おう。
とりあえず、仕事もあと一年は勤められるのでボチボチやりながら職も探さないといけない。ハードな一年になりそうだ。
給料は安くてもいいから、ほどほどに休めて社会保険に入れるところ。そんな職がいい。
掃除夫だっていいし、警備員だっていいのだ。普通の会社ではきっとやっていけないだろうな、と思う。あまりに精神的に脆すぎるからだ。
そういう人間の行く場所、というのは大体限られていて、安くても我慢して生きるか、我慢して普通の会社に生き身を削るか、その二つしかない。
フリーターが問題、というのは「正社員として働かないから悪い」という風にすり替えられているのだが、実は「人件費節約のために正社員を採用しない」方が悪いのである。アルバイトでも社会保険を収めるようにさっ引いていけば厚生年金の問題という奴はそう悪くならないんではないかなぁ、と思う。
要は、「安く使おう」とする企業が圧倒的に多いから悪いのであって、そこの部分を「根性がない」とか「目的意識がない」という風に一方的に問題の焦点を持っていくのが間違い。
むしろ、低所得でも確実に消費して資本主義社会に貢献しているフリーターは貴重な存在だと思う。安価な商品提供の陰には必ずフリーターの存在がいるし、実際フリーターと呼ばれている人たちの多くは正社員と変わらぬ作業を行いつつ、不当とも言える賃金の低さで扱われている。
人生に目的を持っていなくても、生活のためにきちんと働くという意味ではフリーターは決して悪ではない。
生きる目的なんて無くったっていいのである。今生きている大人達の中で、一体どれほどの人間が人生に目的を持って仕事をしているというのか。
その会社に入ったのは夢を叶えるため?会社で目的を達成出来てる?会社で夢を掴んだ?
そんな人間はごく一握り。生きるためにただ必死なだけで、会社に留まって仕事をしているのも究極的には生きるためで根っこの所はフリーターと同じ。
どちらかといえば「生きるため、仕事をやるためには目標や夢が必要」と洗脳して回る奴らの方が問題であり、有害な存在だと言える。
大きな夢や目標だけを人生の価値だと考える風潮の方がずっと危険だ。
消費し、生きる事だけが資本主義社会の正義である。消費は労働によって与えられた賃金によって支えられているのだから、どんなに少ない収入であっても、消費活動に参加した時点で善である。
そういう事を教育していかないと、「夢が持てない=社会の落伍者」みたいな風潮は変えられないのではないか。
夢は甘い蜜だが浸りすぎると泥沼だ。
最近、そんな風に考えるようになってきた。
年を取る、というのはそういう事なのかもしれない。
私はどこか北の果てで静かに余生を過ごせればそれでいいのだ。

三千世界の鴉を殺し9、10を読了。

この手の本を20冊近く読んでいるといい加減免疫が出来るというか慣れた。
野郎同士のキスシーンも全然問題ねぇ。
人間というのはいくつになっても成長出来るものなのだなぁ。
今回から挿絵が変わったのだが、等身が凄い事になっている。10等身くらいある。
いやいや地球人離れした美貌、と表現するにしてもやりすぎだと思うのだが…………
話全体としては全然進んでいないというか痴話げんかみたいなので終わっている。
この人の文章はたまに感傷的なところがあって、それが凄く好きだ。
でもなぜか、それは男同士の語らいの中に見えたりするんだよなぁ。
男の友情ってちょっと邪な目で見えるとこういう風な見え方をするのかもしれない。
むくつけき毛むくじゃらだと全然良くないが、見目麗しい美青年ならまぁビジュアル的に相当マシなので大丈夫なのかも。

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