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なんだか最近異様に動作が重いので原因を究明すべく、起動中のプログラムをいくつか停止してみたところ、どうもプライバシーサービスとか言う防御プログラムがシステムに多大な負荷を掛けていることが判明。
仕方ないので停止した。
変換とかが途中で止まったり、ESCキーが遅れて反応したりするせいで日記が吹っ飛んだりするので大変迷惑。
安全性はさておき、この負荷はただごとではないので効率化のためにはやむを得ないのか?
かといって、たいしてグラフィックを扱いもしないのにRAMを増設しても仕方ないし…………512Mもフルに使うことはそう滅多にあることではないので、1Gまで増設することのメリットが考えられない。
快適さを追求しようと思えばいくらでも金が掛けられてしまうところがPCの恐ろしいところだ。
とりあえず今のPCは5年くらいは使って減価償却して、それからおそらく市場の主流になるであろう水冷型に切り替える、というのが当面の目標。
それまで貯蓄に励んで、国債買って、資金調達できたら株式投資をやって億万長者になれたらいいな。
株は手を出してみたい気もするが、500万くらいは元手がないとまともに運用できそうもないし、現在の貯蓄はその10%に満たないので夢。
超短期取引で少しずつ元手を増やす、というような夢のようなことを考えているが、地道に働く方が安全そう。
とりあえず来年いっぱいまで図書館で働けるので、あと1年は頑張る。
そして違うところに就職し、ダメなら天に召されてしまうので頑張るしかないのだった。
餓死は苦しそうなので雑草を食いつないででも生きる。

餓死といえば「世界の半分が飢えるのはなぜ?」という本を読んだのだが、ネオリベラリズムと貧困の関係が述べられていて興味深い内容だった。
つまりは、結局世界を動かしているのは二つの暴力であるということで、金か武力か、ただそれだけの違いでしかないのだった。
常に無関心が人を殺す。
本当に弱い人間は泣くことも出来ずに死ぬ。
そういう現実がある限り、生きているだけで人生には価値があるなどと言う恥ずかしいことは言えないはずなのだが。
この手の問題は考え出すと答えが途方もなく先にあるのでブルーになる。
自分が弱者の側に片足を突っ込んでいるだけに余計だ。

本日の更新でパキシルのコラムと群発頭痛のコラムをアップロード。
病気ネタの好きな人はどうぞ。

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