shadow Line

「児童性愛者」をようやく読了。

世界で唯一合法の「児童性愛者協会」の目的は、児童と大人の性的行為を合法化するという恐るべき企みを持った公然の結社であり、取材拒否された作者は児童性愛者になりすましてこの協会に潜入取材するのだった。
という話。
ペドフィルが精神異常者で、日夜子供を物色して生活しているなどという認識を持った人は読んでおいた方が良いかも。
出てくる人間は、どれも「割とどこにでもいる普通の大人」ばかり。性愛の対象が児童にのみ向けられていて、自分たちは性的なマイノリティである事を自覚はしているが、不当な扱いを受けている、と認識している人たちが多いのには驚いた。
とはいえ、考えさせられる部分も多い。
児童を性的な対象にするのを禁じているのは、それが子供の精神に大ダメージを与えるからである。
しかし、もし、万が一、それは幻想であるに違いないのだが、「子供と大人の調和のとれた関係」というものが存在するのだとしたら、児童性愛を禁止する理由が無くなる可能性だってある。
また、児童を本気で愛情の対象にしていて、結婚のためには10年待つことも辞さない、という人間がいたとしたら、それを児童性愛と定義できるだろうか。ハインラインの「夏への扉」は見方によっては児童性愛の、より進んだ成就のさせ方かもしれないのだ。
だが、少なくともこの本に出てくる児童性愛者の考えは「子供達は自ら、興味を持って接してくる」という考え方であり、またあるいは「不幸な境遇を救うために、ギブアンドテイクで子供には金を、大人には夢を」というような考えである。
本文中でも言及されているが、成人同士の行為とは違って非対称なパワーバランスに基づく関係であって、間違ってもギブアンドテイクなどではない。ほぼ一方的な搾取である。それは、今現在も続いているし、これからも続く。常に被害者は子供であり腐敗した大人の欲望がそれを生み出すのだ。
奈良の事件のように児童性愛は犯罪に結びつきやすい。ただ、児童性愛者を取り締まり、チャイルドポルノを規制すれば解決する、というような単純な問題ではないように思う。
この問題は、もっとずっと古くから続いているのだ。その根源が何かを見極めなければならない。
一時の感心や義憤でどうにかなるような些事ではないのだ。

と思った。
世界のこういう部分に目を向けてしまうと、絶望せずに生きていくのはとても難しい。
「この世は、万能の神様が頭がどうかしているときに思いついた下手くそな冗談ごとに過ぎない」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA