shadow Line

<背徳の街>ー降臨

「で? 君ほどの力の持ち主がなんだって『安全』なんか求めるんだい?」
「一つはこの」足下のスモーキーを指す。「古い友人のためだ」
「で、もう一つは?」
「厄介な奴らに追われている。事情は複雑すぎて説明できんが、そいつらは俺に対して四六時中精神攻撃を仕掛けてくる。お陰で昼寝もできん」
「なるほど。そういう意味なら、確かにここは安全だ」
 そう。そういう意味でなら、確かにここは安全だ。ガードレスの領域では、些細な精神波などかき消されてしまう。否、強力でも同様だろう。
 ガードレスの世界では、攻撃的な行動を取る事は難しい。例外があるにはあるが、 そう言う人間がピンポイントで俺を狙ってくるのはまず不可能だ。
 だが、俺の身の安全は、こいつによって阻害されるのも事実だ。
 まあ、今は安全であることが確認されたが。ホモの脅威が去ったのは大きい。
「お茶でもいかがかな、マリス?」
「いらない。命を削ってまで持て成さなくても、いいわ」
「クールな言い方だけど、優しいんだね、貴女は」
 風もないのに薔薇がざわめき、花びらが数枚散る。仄かに香るそれを、ティーカップが無言で受け止めた。
「けれど、これ以上お客さまに礼を失したとあっては、僕の名に傷が付く。慮ってくださるなら、味わって下さい」
 おや。これは口説いているのだろうか。
 そういえば、ヤツは人類愛を説いているのであって、厳密には同性愛者ではない。両刀だ。見境がない。本人には確かめていないが、たぶん生き物以外も愛していると思う。
 粋な演出だが、何もないところからティーカップが出てきたりするのはかえって気持ち悪いと思うぞ、ガードレス。
「俺にはないのか?」
「レディーファーストだよ。十六夜」
 続いて俺の分のローズティーも運ばれてくる。
「うむ。くるしゅうない」
 薔薇のツタに支えられ、不気味に浮遊するティーセットに手を伸ばす。
 俺は一口含んでから……あわてて吐き出した。
  この味。
 憶えが有りすぎだ。
「馬鹿野郎、媚薬なんか盛るんじゃねぇ!」
「美味しく頂くためのエッセンスだよ」
 こんな物を飲んだら、美味しく頂かれてしまう。
 しかも、媚薬に紅茶をエッセンスとして混ぜたのであり、これは紅茶ですらない。
 まったく、命を削ってまでやるようなことか。
 それに対してマリスは。
「ご馳走さま。おいしかった」
「御粗末さまです」
 平気らしい。
 やれやれ。
 俺は構わず、スモーキーに近寄った。先ほどと同じように、煙草の煙を吹きかける儀式を行う。
「たばこ~」
 ぎらり。電気の通ったアンドロイドのようにスモーキーが起きあがる。
「十六夜!」
 凛とした声。お、ガードレスの精神波を受けてまともに戻ったか?
「なんだ」
「好きだぁ~」
 急に崩れて抱きついてくる。
「馬鹿、やめろ、ヤメロ~」
 もがく俺。必死で引き剥がす。蹴る。
 スモーキーは土煙を上げて地を滑っていくが、途中で何事もなかったように起きあがった。
「冗談だ」
 また真顔に戻る。嫌な不安定さだ。
「ふむ、この空間は心地いいね」
 かつての冒険者であったような雰囲気を漂わせながらスモーキーは辺りを見回す。
 どうやら、正気は取り戻したようだ。この空間を心地良いと思うのは問題だが。
 キョロキョロと辺りを見回す頭部を掴み、強引にこちらを向かせる。現状を把握させねばなるまい。
「スモーキー、お前を連れ出したのはだな、頼みが……」
「分かってるよ。エンジェルさまに聞いたからバッチリさ」
 そんな得体の知れないものに聞いてバッチリなのは嫌だったが、把握しているのなら、まあいい。
「それでだな、ヤツらが俺に干渉できないように、一時的に因果の断絶と精神防壁の強化をしてもらいたいんだ」
「ヤツら? それは誰だ? 否! 皆まで言うな! 俺はコックリさんに聞けば何でも分かるんだあああああああああ!」
 以前より不安定な気もする。まあ、本人が心地良い空間とのたまったのだから、ここには問題ないのだろうが。
 一応、ツッコミをいれておく。チョップで。
「おうっ」焦点が俺に合う。「何をする」
「で、説明を続けるぞ」
 スモーキーは大仰に頷く。
「なるほど。君の半身と因果的な繋がりを断絶して欲しいというわけだ。相手はダグラス? ふむふむ。また厄介な奴らを相手にしているものだな。え? 二度死にかけた? それは大変だ」
 虚空に向けて会話を続けるスモーキー。
「状況を理解しているのは判ったが、お前誰と話しているんだ」
「わかった。ここは一肌脱ごうじゃないか」俺のツッコミを無視し、勝手に納得したスモーキーが突如気合いの入れた叫びを入れる。「来た来た来た来た来たぁぁぁぁぁぁ!」
 全身から電流がほとばしる。
「エンジェル様、光・臨!」
 光臨しなくていい。また怪しげな技を会得しおって。
 光が迸る。天から降り注ぐそれが、柱のようにクッキリと見えた。
 光と、そうでない部分が、明確に分かる。エンジェル様は凄いと、あやうく騙されかけた。
「コックリさん、再・臨」
 今度は闇の柱だ。なるほど、先程まで会話をしていたのはコックリさんの方なのか。
「三位一体! スーパー! スモーキー!」
 すぐさま肺癌を患って死にそうな名前だ。大体、何が「スーパー」なのだ。
 答えはすぐに分かった。
 光の柱が消える。
 光の柱の中から現れたスモーキーは、黄金色のオーラを立ち上らせ、髪の毛をツンツンに逆立たせていた。確かにスーパーっぽい。
 自称スーパースモーキーの目がギラリと光ったので、俺は反射的に目を閉じた。前にも食らったことがあるから知っている、これはスモーキーが何かに取り憑かれた時に発する催眠フラッシュだ。
 避けられたことが判ったせいか、今度は可聴域ギリギリの甲高い音が聞こえてきたが、それにも抵抗した。こいつもスモーキーが使う催眠音波だ。
「耐えるな」
「というかいきなり何すんだぶっ」
 俺の右頬にスモーキーのストレートがめり込む。
 それを起点に猛烈なラッシュが始まる。
  あんなガリガリの体の何処にそんな力があるのか、プロボクサー並みのスピードでパンチが繰り出され、顔を守れば腹に、腹を守れば顔に、といった具合に絶妙なコンビネーションで俺を攻め立てるのだが、なぜだか結構気持ち良く感じる痛みのせいで何もする気が起きないのだ。

 新手の戦術か。

 打撃を通して俺の意識にダメージを与える方法と見たが、俺の身体からはどんどん力が失われていき逃げる事もおぼつかない。
  防戦一方だ。
「何してるの」
「仮死状態にして処置するのだのだのだのだ……」
  妙な残響音を響かせつつスモーキーのラッシュは止まらない。
  そろそろ耐えきれない。
マリスに助けを求めてそちら視線を移すが、彼女は別に意に介した様子もない。
「効率悪いわ」
呟くように言って俺の背後に回り込む。
「おい待て……」
  後頭部に衝撃。
  ブラックアウト。