shadow Line

<背徳の街>ー前奏

 ダウンタウン行きのバスを待つ。久しく使用していない乗り物だが、こんなものでも使わなければ無事に辿りつくこともできない。
 待合のベンチに腰掛け、読む気もない新聞を広げた。隣のマリスが、煙たそうに新聞を押しやる。
 だが彼女は気づいていない。
 新聞の文字が、蠢いて変わっていることに。
『ダウンタウンは、あなたがいた頃と変わりました。気を付けてください』
 新聞の文字は、そう変わっていた。
 読みたくもない記事だったが、一通り目を通すと、新聞を折り畳んだ。間に金を挟み、背中合わせの席の男に渡し、席を立つ。
 タバコに火を点けながら、歩く。マリスが後から小走りに追ってきた。
「どうかしたの?」
「ああ」
 タバコをふかす。変わったのなら、昔の方法で行く必要もない。
 ひょっとしたら、殺し屋を相手にした方が楽かもしれないが、マリスを関わらせるのは嫌だ。相手はダグラスなのだ。
「気が変わった。ハイヤーで行こう」
「ハイヤー?」マリスの表情は怪訝だ。
「安心しろ。下手な装甲車よりはずっと頑丈だ」
 ダウンタウンが変わった。掃除をすべきかどうか、見極める必要もあるだろう。少なくともあそこの12分の1は俺のものだ。
「様子が変よ。何かあったの?」
「別に。ちょいと観光を楽しみたくなったのさ。それならバスより融通の利く乗り物の方がいいだろ?」
「出来れば遠慮したいわね」
「蝋燭の灯りが見たいなら、蝋燭を暗闇へ持っていくこと」
「なにそれ」
「とある偉大な魔法使いの格言だ」
 妙な高揚感がある。危険な可能性が高いのに、どうやら俺は期待しているらしい。
呼びつけたハイヤーがやってくる。戦車のようなダウンタウン専用の装甲に、マリスが目を丸くするのが小気味良い。甲虫を思わせる三次曲面を多用した車体デザインは、耐弾性と剛性を高めるためのモノコック構造になっていて、見た目以上に頑丈だ。
 前方部分には、掃討用のガトリング砲が物々しく輝いている。
 総じて評価するなれば、武装したカブトムシ。
 くっくっく。これでこそ、だ。
 メトロ・アームズ社製20ミリ速射機関銃は対人火器としては過激に強力で、混合式液体炸薬によって射出された弾丸は人間どころか軽車両も木端微塵にする威力がある。
 が、それがゴトリと音を立てて落ちた。今度は、俺とハイヤーの運転手が目を丸くする番だ。
 高いのに。
「こんなの、みっともなくて乗れない」
 ……いや、まあ、そうかも知れないが。何も手刀で切断しなくても良かろう。
「……ま、まあ、いい。ダウンタウンまで頼む」
 ふかふかのクッションに埋もれ、皮手袋をしっくりと馴染ませる。
 期待感は、徐々に増していく。車のスピードに合わせ、飛躍的に加速して。
 ダウンタウンが近づくにつれ、車内の空気が乾いて感じる。殺伐としたあの空気。
 近づくのは闇。その温床。
「それで、ダウンタウン通な十六夜くんは私をどこに案内してくれるのかしら?」
「取り敢えずは食事だろ」まぁデートとしては常套手段だしな。
「安いところは嫌よ」
 贅沢め。
「そんな高級な店、あるわけないだろうが。その代わり外じゃ食えないようなものはご馳走できるな」
「下手物は勘弁ね」窓を見つめるマリスの眼は憂鬱そうだ。
「何故悪い方ばかり想像するんだ」
「ダウンタウンに、清浄なイメージを持てる貴方の方が驚異よ」
「別に清浄とは言ってないぞ。ただ、バートの店のランチは、危険を冒してでも食べる価値がある」
「感覚の麻痺した人間って嫌ね。食事くらい安心してとれないのかしら」
 どうも姫はご機嫌斜めらしい。
 と思うと同時に、急ブレーキ。
 急激な負荷がかかる。運転手の腕は、高級車との釣り合いが取れていないらしい。
 暴動でも起きているのか、武器を持った民衆に取り囲まれている。
 な訳ないか。これがダウンタウン流の金持ちの歓迎式だ。
 適度にぶっ叩いて身ぐるみを剥ぐ。そのまま連れ去って人を商品にしてしまうこともある。金と倫理を秤に掛ければ、金が重たいという街だ。
 運転手がこちらを窺う。武装が役に立たないのだ。どうするのか決めろ、ということだろう。
「全く、これだからダウンタウンの連中ときたら……」
 ぼやきながら、マリスが車を降りる。
「うるさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!」
 ブラストヴォイスは容赦なく、民衆の群れを薙ぎ倒した。可哀想に。
「やさしいんだな」
「どうして?」
「一人も死んでない。俺の見立てによれば、せいぜい鼓膜が破れた奴が2、3人といったところだろう。本気を出せば半径200メートルは塵に出来るのに」
「貴方の言うバートの店が、その200メートルにあったらランチが食べられないでしょ?」
「なるほど。一理ある」
 運転手は「ひゅー」と口笛を吹くと再びドアを開けた。気に入ったぜ、乗れよ、ということらしい。
「バートの店まで頼む」
 運転手は頷き、車を走らせた。
「で、そこの店は何がお薦めなのかしら?」
「まぁ洋食ならいろいろあるが、俺のお薦めは『なまこライス』か『つちのこライス』だな」
「止めて」
 マリスは短く言うと、車から飛び降りた。まだ走行中なのにだ。
 大きく一息吸いこむ。そんなこと普通に言えば、と思うのだが、全開のブラストヴォイスで主張する。
「下手物は嫌ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
 今度は運転手も言葉がない。車の周囲200メートルに渡って、全てが破壊される。
 下層地区でもさらに品のないところだから多少ぶっ壊れても別に問題はないが、関わりのない連中もいるだろうに。
 マリスが悠々と戻ってきた。すっきりしたらしい。
「下手物は嫌」
「大声で主張しなくても、普通のもあるぞ」
「そう」