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<背徳の街>ーエーデルフォイレ

 幸い、バートの店は範囲外にあったため、これ以上は何事もなく到着した。
 バートの店は小さい。
 客が入れるのはせいぜい、10人ちょっとといったところだろう。
 しかし、空きの席ができることは滅多にない。俺が行く時を除いては。
 運転手に機関砲の修理代と運賃を支払い、車を降りる。
 マリィから軍資金を貰ってなかったら、俺だけ裸でここにいる羽目になっていたところだ。よけいな出費だが、別に俺の金でもないので気にしない。
 バートの店に来るのは実に久しぶりだった。
 上の階層に行ってからはほとんどダウンタウンへ来ることもなかったから余計にそう感じるのだろう。
 小さいが小綺麗な、白いペンキ塗りの店。廃材で作られた家も少なくないダウンタウンには、少々不釣り合いかもしれない。
 だが、盟約と言うほどではないにしろ、ある種暗黙の了解によって守られたこの店が、叩き壊されることもなければ強盗に襲われることもない。食い逃げには厳しいが、ダウンタウンでもかなり、いや最高に行儀のいい店であることには違いない。
 ガラス戸を開けて中にはいる。
「いらっしゃい。来るのは判ってたよ」陽気な声で老人が迎える。
「流石だな。席を二つ空けておくとは」俺は「予約済み」と書かれた札のある席へと座った。
「どういうこと?」事態を飲み込めていないマリスが訊ねる。
「こいつは未来が読める。ごく限定された事項だけだがね」
「珍しい。先読みと会うのは二度目よ」
 未来は無数の選択肢の末にある。その全てを予知することは、不可能だ。
 バートが見ることのできる未来は、店に関係したことだけ。それ以上はない。
 それも、あまり便利なものじゃない。予知した瞬間、その未来は確定する。
 予知した未来を変えることもできる。が、パラドクスの代償は大きい。バートの両足は義足だが、それで皿一枚の代償だ。
 差し出されたグラスに、芳醇な香りが満たされる。一度だけお目にかかったことのある、バート秘蔵の貴腐ワインだ。
 ワインセラーは地下にあることが多かったため、大破壊の影響を免れたビンテージワインは数多いが、貴腐ワインの類はそれでも相当な金額の代物だ。下手をすると企業が社員ごと買える値段のものさえある。
「おいおい、食前酒にしては剛毅だな」
「めでたいからね。今日は奢りだ、皆もやってくれ!」
 しかし貴腐ワインの瓶はさっさとカウンターの下に隠された。
 奢りといえども一杯だけらしい。
「なんだよ、今日は記念日か?」
「12ディアボロスの御帰還だ。記念日にするなら、それもいいさ」
 陽気に言うバートに、俺は苦笑いした。
「そんな風に呼ばれるのは久しぶりだよ」
「12ディアボロス?」マリスには聞き馴れない単語だろう。俺にとっても耳にして久しい言葉だ。
「昔の事さ」俺は極上のワインで喉を湿らせる。「ずっと、昔の」
「でも帰ってきてくれた。これでこの街は安心だ」バートは嬉しそうに言う。
「『見えた』のか?」
 ダウンタウンは変わった、と聞いた。安心と言うことは、俺がそれを正すと言うことを意味しているのだろう。
「おぼろげながらだけどね」
「ふむ。となると、一騒動どころか二騒動くらいはしなくちゃということだな」
「その過程で、あんたの求めている者も見つかる」呟くような声。
「やれやれ。年を経るごとに冴えてくるな、あんたの予知は」
 まったく。そんな先まで見えるとは、この店はどうなっていることやら。
 店内を見渡す。と言っても、それほど広くはないが。
 狭い店。が、いい店だ。ここには、ダウンタウンでは幾ら出しても見れない活気がある。
「メニューは何にするんだい? 任せてくれるんなら、とびっきりのをご馳走するよ」
「いつも通りだ、任せるよ」
「つちのこライス」
 少ない客が、騒然としてマリスを見つめる。俺の顔もそうだが、皆一様に青い。
「おや、お客さん。一見さんなのに、通だね」
「知人のお薦めなの」
 しまった。まさか、本当に注文するとは。
 バートが瓶詰めの怪しげな物体を取り出すと、皆の顔はさらに蒼くなる。
「こいつの味が判る奴ってのは最近なかなかいなくてねぇ」
 俺、逃げたくなってきた。
 瓶の栓をひねる。同時にわき起こる異臭。
「ぐはぁっ」
 思わず呻く。
 つちのこを特製のタレで漬け込み発酵させたそれは、常人には耐え難い臭気を発している。少なくとも俺には耐えられそうもない。
 つちのこ、と呼ぶそれの正体は不明だが、大破壊のせいで変質したキノコだとも遺伝子研究所で作られた新生物のなれの果てとも言われている。
 見た目はイボだらけのナマコという感じだが、バート特製のタレに漬け込まれたつちのこは、何やらねっとりとした糸を引いていて俺は目をそらした。
 マリスは平気な顔をしてバートがそれを調理する様を見ている。
 ……凄い女だ。
「へ、平気なのか?」
「全然。この程度なら別に」
 気分が頗る悪い。
 何人か口を抑えて店から駆け出して行く。俺も追随したい。
 それにしても、この臭気に耐えられるとは、どんな生活を過ごしているのだろう。すくなくとも、ダウンタウンを下品と評価する連中には耐えられないはずだ。下水より酷いのに。
 バートが、つちのこに火を通している。これにより、臭いが香ばしさに変わり、芳醇な味わいが中に閉じ込められるのだそうだ。
 一度だけ、食べたことがある。
 もちろん、吐いた。
 店の外に避難したヤツらが戻ってくる。残っていたヤツらも我慢している。それもそうだろう。
 臭いが香ばしさに変わるかどうかはともかくとして、火が通ると悪臭はだいぶマシになるので、調理中は店から逃げる、がこの店でのルールだ。
 バートの店の「つちのこ」と「なまこ」は、12ディアボロスでも勝てない。ダウンタウンに流布した噂だ。
 というか、真実だったが。事実、悪食で名高い「毒」のディアボロスでさえ昏倒したという代物なのだから。
「ほい、おまちどうさん」
 カウンターに置かれた、濃い茶色のライスに、マリスはなんの躊躇いもなくスプーンをのばす。
 そのまま一口。
「あら、いける」
 俺はその一言に、椅子からずり落ちそうになる。
「たいしたもんだな……臭いとかきつくないのか?」
「舌が肥えていれば、血の臭い、臓物の臭いというのは味を芳醇なものにするのよ。これだって、うるかみたいなものでしょう?」
「うるか?」
「鮎のワタを漬けて発酵させたもの。知らないの?」
「知らん」
 舌が肥えていれば……ねえ。俺はそんな味がわかるぐらいなら、ジャンクフードとテイクアウトのピザで十分満足だが。
 店の中で歓声が沸き起こる。拍手喝采である。
「すげえ! 12ディアボロスよりつわものだぜ!」
 まあ、それは確かだから、否定しない。
「嬉しいねぇ。最後に素晴らしい客に出会えたよ」
「何だ、バート。店たたむのか?」
「移転しようと思っているんだ。このあたりだと、火のディアボロスの部下が五月蝿いからね」
何だ、バート。久し振りに会ったら、能力が衰えたのか?」
「どういうことだ?」
「クリムゾンは彼女に倒されたよ」
 惜しみない拍手の中、マリスは本来の表情でスプーンを口に運んだ。即ち、不味そうに。
「おかしいな」バートは考え込む。「私の予知だと、敵は火と、風と、それと得体の知れない奴の三人だったよ」
「風も、俺の敵か」クリムゾンが再び俺と敵対する、というのも判らないが「風」も離反とは。
 どの勢力も付かない、その名の通り風のような男。といっても爽やかと言うにはほど遠い、それはまさに災厄を孕む暴風。
 あまり関わりになりたい相手ではない。
「らしいね。ほかの奴らは傍観を決め込むみたいだけど」
「だろうなぁ。別に仲良しこよしでダウンタウンを統括してきたわけじゃないしな。互いの実力が均衡してて、且つ干渉し合っての危うい平穏ってのは誰もが判ってたし」
「でもあんたの実力はその中でもトップだと私は思っているがね」
「おだててもなんにもでないぜ。今の俺は、ただの客だからな」
「事実をいったまでだよ。さもなければ、「闇」の一言が12ディアボロスの意向ととられるなんて事例は生まれてこない」
「そんなこともあったかな」
「白々しい」
「若かったからな。まだ」
 苦笑、というよりは自嘲気味の笑いが漏れた。それを、口の端を吊り上げるだけに留める。
「まあ、少なくとも『クリムゾン』は、俺より強かったよ」
「あの傲慢さがある限り、あんたには勝てんよ」
「そう願うよ。それより、俺の分も早いとこ頼むよ」
「あいよ」
 調理に取りかかったバートを眺める。そのまま視線を流し、マリスを捉えた。
「欲しいの?」
「とんでもない」
 マリィが裏切る。その疑念は拭いきれていない。
 だが、今は「クリムゾン」もあいつの配下だ。可能性はゼロではない。
 どういう結果にせよ、俺は俺の道を進むだけだ。
 マリィも元々味方というわけじゃない。利害が一致しただけだ。裏切り、などという言葉で片づけるのも浅はかというものだろう。
 それに袂を分かつかどうかはまだ確かめたわけではない。
 得体の知れない誰か。
 真なる敵はそいつとみるべきだろう。このまま進めばいずれは遭うことになる。躍起になって探すこともない。
「とりあえずは敵中視察、かな」
 俺は呟く。
 アポ無しでも歓迎してくれるだろう。
 もてなしは手荒なものにになるかもしれないが、降りかかる火の粉は振り払えばいいだけだ。
 嫌がらせにはもってこいだろう。
 出来あがったバートの料理を、黙々と口へ運ぶ。今だ漂う匂いのせいか、味はあまり感じなかった。
「考えてみたんだけど」カチャリと音を立ててスプーンが置かれる。皿は既に空っぽだ。「クリムゾンが生きてるかも知れない」
「どうしてだ? お前が倒して、マリィの所へ連れていったんじゃないのか?」
「足手まといがいたのに、そんな器用なこと、出来ない」
 マリスの口から詳細が語られた。足手まとい、とは俺のことか。面目ない。
「スピード・スター……ゴールディが言ってたヤツか」
「あの時、かなりの数の敵に取り囲まれてた。ランツエンレイターが追いついても不思議じゃないくらいに」
「スピード・スターがやられた、か」
「それはない、と思う。でも、彼も完全じゃなかったから、手出しが出来ない相手では、死体までは庇いきれないかも」
 死体が回収された。となれば、クリムゾンが敵対する人形となる可能性は大きい。
 ただ、お互いの手の内を知り尽くされているのが問題だ。泥仕合など俺の流儀ではない。
 ランクZ同士の闘争にただの人間が介在するというのも、俺にとっては頭の痛い話だ。
 死んでしまう。
「それで、これからどうするつもり?」
「とりあえず選択肢は二つ。かつての俺の領域へ観光。または、ダウンタウンで3番目に危険な街へ、嫌がらせ」
「領域? この街に領地でも持ってたの?」
「まぁそういうことになるな。この街には12人の支配者がいる。俺はその一人だった。……昔は」
「初耳ね」
「大した過去じゃないからな」
「前も聞いたわね、その台詞」
「そうか?」俺はとぼけながら煙草に火をつける。「俺は秘密主義者なんだ」
「それで、『スモーキー』はどうするの?」
「……あ、忘れてた」