shadow Line

<背徳の街>ー夢想

 俺はその男と対峙していた。
 場所は判らない。だだっ広いが、街の中の何処かだ。
 男が居る。
 黒のアンダーウェア。戦闘用ジャケット。
 直感で分かる。
 こいつは敵だ。
 手強い。ランクZとは比べるべくもないが、並の相手ではない。
 そう……実力は伯仲している。
 俺と同等だ。間違いないだろう。
 何故判るかと言えば……目の前に立っているのは、紛れもない俺自身だからだ。
 それだけは間違いない。
 俺はこの状況を目の当たりにして、驚いた表情をしているのだろうか、憎悪に歪んでいるのだろうか。それさえ認識できない。
 ただ、ヤツが俺の半身であるということ。それだけが認識できる。それは、ヤツである俺が感じているのだから間違いない。
 なのに、自分の表情の方はさっぱりだ。目の前にいるヤツを参考にしようにも、ヤツには表情がない。そのせいだろうか。
 俺は、黒い虚のような顔を覗きこんだ。他の全てが明確なのに、唯一不明確なその一点。
 何なのだろうか、この感覚は。
 思考がどんどん滅裂になる。意識しようとしても、考えることの焦点がずれていく。
 くそ、くそ、くそ!
 積層した意識が収束し拡散する。
  いざよい。進もうとして進まないこと。ためらうこと。

 苛立ち。嫌な目覚めだ。
 後頭部がずきずきと痛む。
 やれやれ。最悪の目覚めだ。最悪だ。
 自分の半身と対面する。本当に嫌な夢だ。
 寝起きの鈍い頭にはそれしか浮かんでこない。
 腰に手をやるが、フラスクはない。
 起こした身を、もう一度ベッドへと倒れ込ませる。
 柔らかい香り。マリスの匂い。
 彼女からは血の匂いがしない。
 ……何を考えている。変態か、俺は。
 そういえば、生前に詩人を営んでいた友人は、俺を評してこういってた。
「キミは、血の泉に浸かると泡になる人魚姫だね」って。
 思えば、あいつも変態だ。
 俺は思考を切り換えるために寝返りを打った。
 悪夢を思う。
 その意図を考える。
 そう言えば、目覚める瞬間、またあの女を見た気がする。
 あの幻覚の女。それが、音もない声で叫ぶと、俺の意識は海面へと浮上した。
 どんな呪文を唱えたかは分からない。
 ただ、あの空間にいれば、狂っていた。それだけは理解できる。
 意識と無意識の境目は、まるで海のようだ。
 つかみ所が無く、深く、そして暗い。囚われれば沼のようにはまり込んでいくだろう。
 夢は、個人の願望や無意識が具現化した姿であるという。
 なら、半身に出会う、その意図とは。
 怖れか。それとも期待か。
 俺は俺だ。俺以外、誰でもない。
 しかし、俺以外の俺が居るとするならば……それは俺じゃない。
 自らが何者であるかを突き止めることなど無意味だろう。
 だが、俺は俺であるために、半身を消し去らなければならない。
 俺が、俺一人の存在で、一個人であると証明するためには。
 ……ダメだ。思考が上手くまとまらない。
 頭の芯が鈍く疼く。それが、思考の継続を阻害する。
 まあいい。どうせ、何度となく考えたことだ。今更、何かが起きたからといって、その答えに変化はない。
 上半身を起こす。それだけの行為なのに、苦痛と疲労を伴う。
 おかしい。
 意識の表面が波立つ。その下を、深淵へと誘う無数の手の群れが大挙して押し寄せる。
 意識野が黒く塗り潰されていく。「深淵なる闇」と呼ばれた、この俺がだ。
 苦笑した。しながら堕ちていく。
 そうか。精神攻撃に対する防壁が働かないのは、半身を媒介にしているからか。
 ……あ、ダメだ。
 半身を媒介して俺を喰うつもりか。
 世界が塗り替えられていく。
 恐怖も諦めもない。ただ、塗りつぶされるだけの結果が広がっていく。
 俺の心に空白を「与える」つもりらしい。精神の波が止められれば、生きる意志、反射行動さえ封じられた唯の肉塊になるしかない。魂を殺すことを殺人と読んでいいのかどうかは判らないが、相手を廃人にすることを目的とした精神攻撃の常套手段だ。
 俺は呼吸を止め、静かにイメージする。
 止まれ。鼓動よ止まれ。
 自己暗示で心臓を停止させる、そのイメージを相手に送りつける。
 半身を媒介にしているならこちらも出来るはずだ。
 相手に攻撃されながら自殺のイメージを相手に転写というのは、自分の首を絞めている紐で相手も道連れにするのに似ている。極めて危なっかしい方法だ。
 頭の中に響く拍動の音が徐々に弱まる。心臓を鷲掴みにするイメージを増幅させる。
 俺がくたばるか、相手がくたばるか。
 だが俺の考えが甘かったことはすぐ思い知らせされた。
 相手はかなりの熟練だ。
 俺の思考能力をピンポイントで削ってくる。つまり、自殺を抑制し加減するという感覚、そういう所を優先的に。
 俺がこういう行動に出ると踏んでいていたのだ。俺の性格を知った上で、あえてそうするように仕向けた来た、というわけか。
 死に対して感覚が麻痺してくる。死への恐怖は自殺への強力なブレーキだが、そういう部分を麻痺させられると自殺を自然なものとして許容してしまう。
 仮死状態になっても、脳への酸素供給がすぐに停止するわけではないから、イメージの送信は可能だろう。だが本当に止められてしまうとそれはまずい。
 なにより死ぬ事への恐れが無くなると、蘇生の感覚が掴めない。
 鼓動がどんどん弱くなる。息苦しさはないが、倦怠感にも似た感じが全身を痺れさせる。
 深みにはまってきたらしい。
 さすがに焦る。
 やばい、やばい、やばい! どうすりゃいいんだ!
 そして、今度は視界がホワイトアウトしていく。