たまにこうして日記を書いているわけですが、備忘録的に付けているところもあるので人が読んで面白いのかどうか、どういうポジションなのか良く分からなかったりします。
じゃあ公開する意味は無いのでは?と思う自分と、人の体験は面白いと感じる人もいるから意味があるのではと思う自分とがせめぎ合ったり。ファイトしたり。それは切り離せない葛藤であり、まるでコインの表と裏のようにそれぞれに意味があり、人の営みはそうして続いてきたので人類の歴史マジ闘争。
では我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。
少なくともタヒチじゃなさそう。
書くのを止めると感覚が鈍るので、何らかの文章は日々続けるようにしているのですが、ほとんどが投稿作であり未公開なので外から見えねーよなぁ。と当たり前のことに気付いたりもします。ここ最近の更新履歴とかみると全然活動してないように見えるもんな……合算すると70万文字くらいあるのに。
なろうの人とか凄いよね……あのペースで人目にさらす目的で投稿してるのだから、すげえ胆力だ。真似できねぇ。いや真似した方が良いのか?
でも個人サイトとかで作品発表している人が驚くほど減っているのは事実で、しかも新規の来訪者はあまりいない。あきらかな広報不足。
SNS全盛期なので当然と言えば当然なんですが、でもプラットフォームに左右されない表現の場は持っておきたいみたいなことを漠然と思ったりするわけです。こうして長い日記を書く場所もないですし。
お仕事柄、『物を残す』事の難しさに日々直面しますが、なんだかんだいってもデータは便利でコンパクトだけど修復が難しく、短いインターネットの歴史でも散逸した物は膨大です。紙の本も1850年以降から90年代辺りまでの物は劣化が進み余命はそんなにありません。和紙が寿命千年くらいなので長く残る本を残したい人は和紙お勧め。
と言うことで、これからの時代は粘土板だ! あと硝子!
この徒然なるままに書いた物も粘土板なら5万年は行ける!