「お前と俺は友人だが、今日だけはその禁を破らせてもらおう」
奴はそう言った。
「お前が彼女からもらったというチョコレート、それを賭けて貴様にバレンタインファイトを申し込む!」
バレンタインファイト・・・・聞き慣れない単語だ。
「なんだそれは」
「チョコレートを賭けての命がけの戦いだ。ルールはいま俺が作った」
なんてワガママな奴だ。
「命なんて賭けられるか。チョコレートぐらい自分で買え」
「駄目だ。彼女からもらった、という事実が大事なのだ。よって力尽くで奪い取らせてもらう」
「無茶を言うな。たとえ僕から奪ったとしても、それは彼女からもらったことにはならないぞ」
「手渡しでもらえないなら奪い取るまでだ。本当は靴下のほうがよかったが、彼女に要求するのは犯罪だからな」
自覚はあるようだ。
だが僕を襲うのも犯罪行為だと理解してほしい。
「お前に勝ったとして、僕は何を得られるんだ?」
「友情と、栄光。そしてチョコレートを守りきったという満足感が得られるだろう」
「どれもたいしたものじゃないな・・・ついでに言っておくと、チョコレートはもう食べた」
「死ねえええええ!」
奴は拳を振りかぶって襲いかかってきた。
僕は奴の鼻っ柱に左ジャブを当て、ひるんだところに右ストレートを繰り出す。
両方ともまともに当たったので、結構なダメージになったはずだ。
奴はよろめいて後ずさった。
「とりあえず落ち着け」
「問答無用!」
奴は唾を飛ばして叫び、全く同じ動きで僕に襲いかかってきたので、僕も全く同じ動きでもう一度殴った。
なんだかパンチングマシーンを殴っているような気分だ。
「へへ・・・・すげえパンチだ。だがヘヴィ級ボクサーには遠く及ばないぜ」
当たり前だ。
しかも膝を振るわせながら言う台詞じゃない。
めちゃくちゃ効いてるじゃないか。
「たかがチョコレートにそんなに熱くなるのもなあ」
「たかがとか言うな! お前には彼女のチョコレートに、どれほどの価値があるのか判っていない!」
「なんでそんなにあの子のことを気にするんだ?」
「彼女は俺の太陽、心の光だ!」
それは本人の前で言え。
僕に言ってどうする。
「うおおおお!」
獣のような雄叫びを上げて、奴は僕に突っ込んできた。
姿勢を低くして突進されると、有効な打撃を加えるのは難しい。
僕は重心を低くして受け止めた。
奴は組み付いたまま僕を押し倒そうとする。
「チョコレートはもう無いんだし、バレンタインファイトとやらに意味はないと思うんだが」
僕がそう言うと、奴は妙な目つきで僕を見上げた。
「お前の息・・・その香りが彼女のチョコの香りなんだな」
気持ちの悪い奴だ。
僕は奴を上から押さえつけると、がら空きの脇腹へ膝蹴りを3発叩き込んだ。
組み付きがゆるんだので、すかさず上から肘を打ち下ろし、前蹴りで引き離す。
もんどり打って奴は倒れた。
「この辺でそろそろやめておかないか?」
僕は提案してみる。
「まだだ・・・まだ終わらんぞぉ!」
よろめきながら立ち上がろうとするので、フェアプレーの精神に反するが僕は奴が立ち上がる前にミドルキックで打ちのめした。
奴は頑張って起き上がるのだが、たぶんこのまま立ち上がらせても諦めないだろうから、心を折っておくのが良さそうだ。
起き上がったところに繰り返し打撃を当てて、ダウンさせる。
キックばかりだとバリエーションに乏しいので、時々パンチも混ぜてみる。
でもなんだか無抵抗の人間を殴っているみたいで気分が悪いなあ。
「こんなところで殴り合いをしても意味がないぞ。エネルギーの無駄だよ」
正確には殴り合いではなく一方的に僕が殴っているわけだが、疲れることに変わりはない。
「そうだな・・・」
奴は神妙な面持ちで地面に手をついた。
ああ、なるほど。
「くらえ!」
案の定、奴は僕の目に砂を投げつけてきた。
僕は上半身を大きくひねってそれを避け、脇に回り込んで前蹴りを奴の顔に食らわせた。
「ふごっ!」
くぐもったうめきをあげて、奴はもう一度地面に倒れた。
「なぜだ・・・なぜ勝てない」
大の字になった状態で、奴は自問する。
目つぶしをするなら、少なくとも砂を握った手の動きは悟られないようにするべきだ。
「もうそろそろ帰りたいんだけど」
奴が仰向けになったまま動かなくなったので、僕は言った。
「これで勝ったと思うなよ」
なぜ泣く。
「ここで俺が倒れたとしても、第二、第三の刺客が貴様を襲う!」
チョコレートをもらったぐらいでそんな目にあってたまるか。
「何を誤解しているのか知らないが、僕と彼女の間には何もないぞ」
今はまだ。
「なんだと?」
奴は急に顔を輝かせて立ち上がった。
あれだけ殴られたのにタフな奴だ。
「フ・・・義理チョコに命を賭けても仕方がないな」
バレンタインファイトは命を賭けるものじゃなかったのか。
「これが友情の始まりだな」
奴は僕に握手を求めてきた。
青春ドラマっぽく締めるらしい。
「隙あり!」
握手に応じた僕の不意を突くように、奴が殴りかかる。
でもだいたい読めていたので、僕は左のクロスカウンターで奴を殴り倒した。