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女難に遭う俺-2

 食べるのはいつものように一瞬だった。まあまあの手間は掛かっているが、美味しく食べて貰う喜びはそれに勝る。
「足らねぇ」
 掃除機のごとく全てを平らげたミカさんは言った。
「文句言うな」
 エマさんが俺の気持ちを代弁した。
「殺しかけた相手から食事を作ってもらえるだけ、ありがたく思え」
「こんな神官の食事みたいに少なかったら、あたしは餓え死にしちまうよ」
 ミカさんは不満を言いながら、器の底に残った僅かなスープをすくっている。食事の量は文句を言われるほど少なくはなかったはずだが、あの体格からすると足らないと言い張るのも頷ける。次はもうちょっと増やそう。
「今日も素晴らしかったぞ」
 エマさんに褒められると、何だかこそばゆい。でも悪い気分ではない。
「ありがとうございます。食後のお茶いれますね」
「うむ」
 俺はミカさんの皿だけは残して食器を積み上げると、いったん厨房へと戻った。
 いつものグレイン草をティーポットに入れて、熾火にかけて置いた鍋から湯を注ぐ。
 甘い香りが部屋に漂い、俺は少し落ち着いた気分になった。自分はこの世界のかりそめの客に過ぎず、二人の仲など気にすべきではない。ないのだが――気にするな、と言うのも無理な話である。なるべく二人きりにしてあげよう。
 俺が居なくなったところで何か話を始めたらしい。すぐに戻らない方がいい気もする。
「……で……動き……」
「……今のところは……面倒……」
「あまり楽観も……」
「……あたしが…追い出す……」
 断片的に聞こえる単語につい耳を澄ませてしまう。
 追い出す。
 ミカさんと会ったのが今日なので、俺のことを言っているわけではない……と思いたいが。それが誰に向けての言葉であっても余り聞きたくない言葉だ。
 考えを巡らせているうちに、お茶が少し濃くなってしまった。あまり良い方法ではないが、お湯の残りを足して薄めた。あまり時間がかかると逆に不審に思われてしまう。遅らせるのはこのあたりが限界だ。
「お待たせしました」
 それぞれの前にカップを置くと、ミカさんが口を尖らせた。
「なんであたしの食器だけ下げないんだよ」
「まだ食べてる途中だったじゃないですか」
「とっくに食べ終わってたぞ。それとも、客に対する嫌がらせか?」
 俺も同じ客なんですが。
「食器ぐらい自分で片付けろ」
 エマさんの言葉は厳しかった。ミカさんは渋々立ち上がると厨房へ自分で食器を下げに行く。もちろん、こっちを睨むことも忘れていない。ううむ、やることなすこと裏目に出ている気がする。ミカさんはどう接するべきか、未だ決めかねていた。出来れば、滞在中は仲良くしておきたい。しかし、俺に向けられている態度は友好的とは言えない雰囲気を醸し出していた。
 まず初対面での対応が良くなかった。行き違いがあったにせよ、あれは良い出会いとは言えなかった。
「しくじったか?」
 エマさんに言われて、俺は飛び上がりそうになった。心を読まれたのだろうか。
「何がです?」
「いつもより、味が薄い――いや、薄めたのか」
 お茶のことか。
「すいません。少し濃く出しすぎまして」
「そうか」エマさんは視線をカップに落とした。「ミカのことは悪く思わないでくれ。思ってることがすぐ口に出るタイプでな。根は正直なのだ」
「わかってます」だからこそ、俺に対する警戒心も、初対面でのやりとりも、影響しているのだ。「なるべく、仲良く出来るように努力します」
「そうしてくれると、私も助かる」
 エマさんはため息をついた。
 やがてドスドスとわかりやすい足音を立ててミカさんが帰ってくる。
「……ったく。余計な手間取らせやがって」
 ドスン、と椅子に尻を落ち着けると、カップを持って一気にあおる。
「熱ッ!」
 そりゃそうだろう、淹れ立てだから。
「不味ッ!」
 すいません、それは俺のせいです。
「落ち着け」
「あたしは落ち着いてるよ」
 二人のやりとりを見ていて、つい吹き出してしまう。
「何がおかしい」
 エマさんが不機嫌そうな顔でこちらを睨む。
「いえ、お二人は本当に仲が良いんだなぁ、って」
「あたしとエマは家族みたいなもんだ」
 誇らしげにミカさんが言った。
 エマさんは何も答えなかった。

 片付けを終えると、完全に真夜中を過ぎていた。激動の一日だった。
 明日からの食事は三人分。今日のうちに仕込んでおくべきか迷ったが、やめた。
 そんな気力もわかないほどに俺は疲れていた。明日のことは、明日やったっていいのだ。
「まだ起きてんのか」
 俺はどきりとして振り返った。声の主はミカさんだった。
「ええ、食器だけは今日洗っておかないと」
「その……悪かった」ミカさんはいきなり頭を下げた。「お前に怪我させた事は反省している」
「や、やめてくださいよ……ミカさんは、エマさんを心配してやったんですし。それに、二人して感電したんだから、チャラですよ」
「変わった奴だな」
 ミカさんは探るような目つきで俺を見た。この人にこんな見方をされるのは二度目だ。
「時々、言われます」
「お前の事情は聞いた。ええと……アレだ。元の世界に帰れるといいな」
「そうですね。そう願っています」
「で、お前に聞きたい。お前、エマに惚れたりしてないよな?」
 返答を待たず、ミカさんは俺ににじり寄ってくる。
「ここに並んで立ったりはしていないな?」
「してませんよ。エマさんも困っていましたし」
 その言葉でミカさんの目がつり上がった。
「てめぇ……誘ったのかよ」
「断られましたよ。何でそんなことを聞くんです?」
「理由なんてどうでもいい」
 厨房に呼ぶ、というのはこの世界では何か深刻な意味があるのだ。まさか『結婚してくれ』とかそういう意味ではないだろうが、とにかくまずい意味だろう。
 なぜなら、ミカさんが女性とは思えぬほど太い指で俺の襟首を掴んでいるからだ。選択肢を間違えるとパンチか投げが待っている、そういう流れだ。
「言っておくが、エマはあたしのもんだ。手を出したら許さねぇ。ここに呼ぶのもだ」
「はぁ……」
 どう答えたらいいものやら、俺は困ってしまった。そんなことは考えてもみなかった。
「いいな。忘れるなよ」
 ミカさんは捨て台詞のように言ってから俺から手を離し、厨房から出て行った。
 謝りに来たのか脅しに来たのかよくわからない。
 二人の仲は親密なものと思っていたが、それならわざわざ俺に釘を刺しに来たりはしないんじゃないだろうか。同性同士だと、異性に取られてしまう心配をしてしまうのか。それとも俺の態度がそう見えたのか。自慢じゃないが、俺は二十三年間恋人なしの身である。色恋の機微は全くわからない。
 エマさんに魅力を感じていないと言えば嘘になるが、いきなりそんなことを言われても困る。
 よくわからないが、何だかちょっと腹が立ってきた。なにも暴力に訴えなくったって良いはずだ。
 わからないものを考えても仕方がない。
 俺は戸棚からエマさんの酒を少し拝借してカップに半分ほどついだ。そして赤紅色のそれを、ぐっと飲み干す。
「ぐほっ!」
 喉を焼く強烈な感覚に俺はむせた。
 赤ワインみたいだと思っていた酒はめちゃくちゃに強かった。今までは指先にちょっと垂らしてなめる程度だったので、ここまでの酒だとは思わなかった。俺はめっぽう酒に弱い。顔にかっと血が上り、目元が熱くなる。寝酒に軽く、と思っただけだったが目眩がする。エマさんは、いつもこんなものを飲んでるのか。
 気分が良くなるどころか、視界はぐるぐると歪み始めた。立っていられず、厨房の隅にある椅子へと歩く。よろめきながら一歩。それで限界だった。俺は床に座り込んで、そのまま立てなくなった。
 なんてこった。
 がんがんと痛み始めた頭の片隅で自分の軽挙を嘆く。これじゃまるで、やけ酒じゃないか。それとも異世界の酒は俺の身体に合わないのか? 何か化学変化を起こすとか。いくら酒に弱くても、こんな状態になったのは初めてだ。
 身を横たえると地面は冷たくて気持ちよかった。まぶたがだんだん落ちてくる。
 部屋の隅に埃が残ってる。明日は掃除しないと。
 そんなことを思いながら、俺の一日は終わった。