雷句誠先生が小学館を提訴していますが
賛否色々あるものの、私としては雷句誠擁護派で見ていこうと思っています。
理由は色々あるのですが、マンガというメディアが衰退しつつある、そんな危惧を前々から抱いて居るからです。
とはいえ、私も一介の消費者ですし、そんなに偉そうなことを言える人間でもありません。
でも、ただの消費者だけど、漫画が好きだから漫画を書く人と、それを作る人の関係が良いものであって欲しい、と思うのです。
サイトでは小説書いてますが、小説書くのは漫画描けないからだし。
故に、私は絵を描く人に限りない敬意を表しています。
小説には言葉の壁がある。
けれども、絵と音楽には、国も言語も超えて人の心を動かすものがある。(もう一つ足すなら料理も)
漫画は絵と、そして小説の表現力の二つを兼ね揃えた希有な芸術です。
美術と文学の高度な融合です。
漫画は日本が世界に誇る芸術です。
しかし老若男女、あらゆる世代と年齢層が読むにもかかわらず、その扱いはどうにも低い気がします。
文学は認められているのに、漫画は消費物扱いです(親に捨てられた漫画もたくさんあります)
もっと漫画は認められて良い!
自分は声を大にして叫びたい。
図書館にだって漫画をバンバン入れても良いと思いますし、教育だって漫画をバンバン活用して良いはずです。
でもそのための垣根は、漫画が低俗な消費物などではなく一個の芸術作品に匹敵するものだという認識がなければ超えては行けない。
もちろん、質のいい漫画が必ず売れるというわけではないでしょう。
商業作品でもあるのだから、当然売れるものも作らなければならない。でも売れるだけが正しい、と言う価値観は、これほど多様化した個人の嗜好を満たすには至らないのです。
ミリオンヒットでなくても、ある層に共感を得、受け入れられる物をたくさん作ることだって一つのやり方です。
それは、もちろん漫画家一人だけでも編集者だけでも出来ない。
強い者が一つを率いていくより、同じ力を持った者が互いにぶつかりながら、いい点を導き出していくほうがずっと素晴らしい物が出来るはずです。
良い刃物が、単一の材料ではなく特性の異なる金属の融合と鍛造によって作られるのと同じです。
自分はいささか理想主義に走りすぎる欠点があることは認めますが、どんなに絶望しても理想を笑うような人間には為りたくない。
故に漫画を愛するただの一市民として、傷つくことも覚悟の上でこうした告訴を行った雷句先生を応援したいと思っています。
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