shadow Line

余韻

 一つのことが終わると、達成感より先に虚無感がやってくる。
 けれども、それは予定していた幕引きを終えたと言うことについては、物事がきちんと掌中に収まっていた、ということだ。
 とりあえず、生きている間にこれだけは何とかしなくては、というものが片づいたので、一安心。
 自分という人間には驚くほど何もなくて、それは時を経るに連れ、年を重ねるに連れ、恐ろしい現実として自分の前に立ちふさがるのだが、それが私固有のものなのか、それとも多くの人間がそう感じているのか、どの程度なのかは、おそらく誰にも判らないだろう。
 私という個人は無限の組み合わせ、無限の選択の結果に過ぎず、同じ物はこの世に一つとして無いが、それは同時に、私自身が何者にもなれないと言うことも意味する。
 乏しい才と技術、人並みはずれた臆病さと恐怖感が何を生み出せるのか、問い続け、迷い続け、気がつけばだいぶ遠くへ来ている。
 私に何が出来たか、それはたぶん、ずっとずっと後になってから、初めて判るのだろう。
 けれども、今この瞬間にも、自分の作った物で楽しんで貰えたり、ちょっと考えさせられたり、面白がったり、何らかの「心のさざ波」のような物を生み出せたのなら、それは望外の幸せである。
 
 などと改まった書き方をするまでもなく、翡翠の箱庭の完結編をようやく書き終わって、なんか妙な気分。
 思えば長かったなぁ。7年くらいかかっただろうか。
 長すぎ。
 ここまでかかった最大の理由は、間違いなく私がヘタレだからだが、ちゃんと書き終わってよかったよかった。
 最初に読んでいた人の、一体どれほどが今もこれを読んでいるのかはよく判らないのだが、まあ何とか終わっただけマシというものである。
 今年こそ完結、とか言い出してからたぶん3年くらい経っている。
 ひどい奴だ。
 商業ベースだったら絶対にやっていけない速度である。
 書き終わるまでに打ち切られるか、もしくは死ぬ。
 あー、しかし本当に終わってよかった。
 さあ次は宇宙番長の新作だ。

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