空が作り物でないかどうかを確かめるには、自分の力で空を飛んでみるしかない。
速さの違う時計の中で、同じ歩みで進むことは出来ないし、
気がつけば一人だった、なんて事はよくあることだ。
描いたものは全て幻か。
作り上げたものが紛い物だとは思いたくない。
けれども、掛けた時間も過去も全て徒労なのだというなら、いずれ壊れていく砂の城など作るべきではないのか。
一つ確かなのは、走り続けてもそれが道行くものの標になるわけではなく、指し示すなら立ち止まってサーチライトにでもなった方がマシだ、ということ。
結局、始めた者が終わらせる以外、物事が正しい場所に収まりはしない。
子供じゃないんだから、その辺は判っていたはずなのだが…………。
なんにせよ、落胆したり失望したりするのが長引くのは、人を当てにしすぎているということの裏返し。
弱いということはたまらなく悲しいし、辛い。
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