選挙が終わってふと思ったこと。
「小泉総理の言葉に踊らされている」とか「独立政権が誕生して危険」と散々言っているが、それを選んだのは全部国民であって、その結果国が傾き戦火に包まれ燃え尽きて灰になっても、それはそれで国民の選択の結果だったというだけである。
むしろ、国がそういう方向に行っているのなら、いっそ滅んでしまった方が綺麗さっぱりでいいんではないかなぁ。
本当に国民がどうしようもなく愚かなら、勝手に滅ぶし、気合いの入った奴が生き残っていればマシな国にはなろう。
それでも多数派=悪、と断定する根拠が判らぬ。造反した奴らもあっさり元の鞘に収まろうとしているあたり、結局民営化反対もパフォーマンスだったわけで、そいつらに荷担したところで結局同じな気がする。
つまり、立ち直ろうと、破壊されようと、とにかく行くところまで行かなければ何も代わりはしない。
小泉改革が失敗して何もかもブッ壊れても、それはそれで新しい秩序が生まれるのかもしれないのだから、改革が成功したと言えなくもないんではないか。
この世には、破壊の中から産まれるものもあるのである。
というようなことを考えて、破壊主義者の自分は政治家になるべきじゃないし、指導者にも向いてないな、とつくづく思った。
人と話していると、励ますつもりで説教めいた言葉とか出てしまう時があり、自分に出来もしないことを人に言い含めるのはどうかな、と思ってしまい、ブルーになる。
厳しくするのも優しくするのも簡単だが、極端にならずきちんとさじ加減出来る人は本当に大したものだと思う。
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