リリカルなのはA’Sをつい全部見てしまいました。
相変わらず休日はベッドですが、ノートPCのおかげでDVDが寝たまま見られる!最高です。
というかですね
はやてが闇の書に名前を授けるシーンでちょっとうるっと来てしまいまして。
歳を取ったせいで涙腺がいくらか緩くなってきたみたいです。
うーん、いつか人並みに泣けるようになる日が来るのかなあ。
とまあなんであそこでウルウルしそうになったかというと
「名前も意義も失った存在が、理解者を得る」という個人的ストライクを突いてきたからなのでした。
本当の幸せとは何か?
ということを考えるとき、私の答えは「他者から理解されること」だと思っています。
他者とは世界の一端であり、他者から理解されることは世界から認められる、受け入れられることに等しい。
我が身が消失したとしても、他者からの理解を得、存在を理解し受け入れて貰えたなら
そこには確かな存在の意味があり、死の瞬間にも満足して死んでいけるんじゃないかなあ
と言うような個人的見解があるので
こういうシーンに弱いのです。
と同時に、世界の敵とは『対話を拒否するもの』であって
話し合いの出来ないのはダメです。アレです。
話を聞かない奴はラピュタの雷で焼かれてしまえ。
最近はいい大人もだだっ子だから困るぜえ
年末の休みはStandAloneComplexを全部借りて制覇したい。
なんかあたいだけ2日も休みが少ないのはンッだってゆー!
人生はン、ン、んじゃめナ サイクロンです。
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