町の図書館では黒魔術から結婚情報誌まで何でも読む人として知られてしまっている私ですが
「三千世界の鴉を殺し」の新刊を借りたら、
「津森時生好きなんですかっ!? 私もなんです!」
といきなり話しかけられてちょっとビックリですよ。
ああ、そうか、お姉さま方には確かに好評な作品だが、男の私が読むのは珍しいかもしれん
と改めて思ったり。
実際、ちょっとやおいっぽい描写があることを除いても、単純に話として好きです。
登場人物がエネルギッシュで、ハチャメチャで、それでいて男も女も皆熱い
作者は「惚れる」の意味をよく判っていらっしゃる。
誤解を恐れず言えば
綺麗なものが戯れているのは単純に美しい光景だと思うのですよ。
もう百合でもやおいでも関係なく、異星物でも機械でも何でも。
そこに儚さと、脆さと、感傷とがあれば言うこと無しです。
目で見えるものは、実は物質の反射光が結んだ像に過ぎず
真の美とは、その有り様にこそあるわけで
美しさとは永遠ではなく、瞬間でもなく、そう在ろうとして在るところにその神髄があるというか
つまり
綺麗って事は目の保養ってことだが
そこに妄想のはいる余地が在れば最高ってことさ。
そして鍛え上げられると
もう姿なんて無くてもボイスコンピュータとかでもいけてしまう
おお、なるほど、
この手の話は業が深い、というのはこういうことなんだな、としみじみ思いました。
でもやっぱり三次元は駄目だ。
喋るコンピュータの相棒がいれば結婚なんてしなくていいやとか思う。
現実を愛している人も居るんだろうけど
私はイメージを愛したいぜ。
心だけは、どんな枷にも縛られない、
そんなどうしようもない、役にも立たないエネルギーが物作りには必要なのです。
コメントを残す