shadow Line

ウォーク・ザ・ライン

劇団ダブルスチールさんのところの公演に行って来た。
「今日は用があるから早く仕事上がる」って言っているのに全然忘れている社長とかに猛烈にイライラしたが、開演前に何とか到着。
今回は「記憶」にまつわる話で、いつも通りコメディタッチではあるものの、どちらかと言えば物語重視の構成だった。
見ているときには「これは何?」というようなシーン、と言うより違和感が、終末に向かって一気に収束していく感覚、これを生で体感するというのはまさに舞台ならではのものである。
伏線が非常に凝っていて、見終わった後の満足感は素晴らしいものだった。
舞台というものは、観客と役者とが時間を共有し、世界を共有する、そういう空間である。
時に笑い、時に憤り、時に泣く、個人の意志を超えて自分自身が世界と一体になり、その時間を味わう、私にとって演劇とはそういうものだ、と思っている。
これは小説では絶対に出来ない。個人と個人を繋ぐことはあっても、同時に複数の人間が世界と時間を共有すると言うことは、小説では不可能だ。
だから、広がり続ける宇宙が終わりに向かって縮んでいき、一つの事象に結実するときの沈黙、私はあれが好きだ。
記憶を失い、思い出を忘れ、しかしそれを再び手にしたときの、あの慟哭にさえ似た叫び。
咳一つ、身動き一つしなかったあの間、あの瞬間にこそ世界の全てがある。
少なくとも、私はそこに『世界』を見出した。
ここの演劇が、どんなシビアな状況でも優しさを忘れないのは、係わる人全ての中に黄金の輝き、とでも言うべき魂の熾火を持っているからだ、と私は勝手に思っている。
 
ここの役者さんで、非常に演技の幅の広い方がいらっしゃるのだが
その演技を見るたびにIRAの元テロリストで「千の顔を持つ男」と呼ばれるショーン・ディロンという男のことを思い出す。
服装も何も変えずに自在に違う人物になってみせる、物語の中でディロンはそう言われているのだが、その人もそう言うことが出来るので毎回舞台が楽しみなのだ。
こういうのを見るたびに、役者というのはスゲェなぁ、と思う。

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