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医者は伊達に医者じゃない

と思った。

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生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

とまあこんな本を読んだわけだが、凄いなぁ、と思ったのが最近の若者の希死念慮についての考察。
自殺したいのだかそうでないのか、よく判らない状態でうっかり死んでしまう、というような状態・事態をどう分類すべきか、というような項目があるのだが、その解説が凄く納得できる物だったので「む、やはり香山リカという人は凄いのだな」と改めて認識するに至った。
能動的ではないけれども、そこに死の可能性のある自殺行為(致死量でない薬物の過剰摂取や自傷行為)を「くじ引き」型自殺と定義したのは実に的を射た表現に思う。
というか、読んでいて
「うわー俺のことだー」
と思った。
心に穴が開いているわけではないし、毎日をそんな無力感に囚われて生きているわけではないけれど、「明日死ぬ」と言われたら、たぶん「そうですか」で済む。
車と接触しそうになって「危ないな」とは思うけれども、怒りとかは別にない。「轢かれなかったから死ななかった」という確認事項があるだけ。
風邪を引いたり体調不良になったりすると、それはそれで病院行ったり寝込んだりするが、それは生きたいが為にそうするのでは無く、ただ「そうすることが普通」だからそうしているにすぎず、明日への意欲とか未来への希望みたいな物がない。
あまつさえ「守るべき家族」のようなものも、だいたい片が付いてしまっているので、一家を支えるというような理念がない。あえて言うなら、兄弟のうちどちらかが実家を継ぎ、もう片方が別の家を継がないと確実に一つの家系が途絶える、ということぐらいだが、別にそれはそれで大した問題ではない。
つまり、人間が社会活動を行うにあたって、目標みたいな物を既に喪失しているので、日々の営みや自分の存在基盤に対する意識が希薄なのだ。
故に、現実確認手段よりももっと場当たり的な自殺的な行為、に非常に惹かれたりする。
この本から引用すると
「シェークスピアは「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と書いたが
 彼ら(私のような人間)にとっては生も死も大した問題ではない」
というようなことである。
まさにそのとおりなので、凄いことを書くなぁ、と感嘆した次第。
たまに心理関係の本読んで痛いところを抉ってくるのを感じると、世の中は広いなと思う。 

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