私はどうしても三島由紀夫の作品を読む気にならない。
「文学を志すものは古典に目を通せ、三島由紀夫とか」
というのが常套句のように使われているのだが、
「でも理由はどうあれ国家転覆を謀ったテロリストだろ?
つまりは文学や文化の力を信じずに暴力を用いようとしたわけで
それを美化するのはどうなんだ?」
というような疑問がわいてきて手に取れない。
「世界の中心で愛を叫ぶ」とかも
「別に世界の中心でなくてもいいだろ。海とかでもいいじゃん」とか思ってしまうし
「恋するために生まれてきた」とか書かれると
「恋愛の概念が出てきたのはここ100年ちょっとの出来事で、そんな短期的な思想で人生を定義するな」とか「恋もいいが、俺の興味はむしろ食い物」とかそんな奴だったりするので、見た目だけで拒否するものがたくさんある。
たぶん、損している事もたくさんある。
だがしかし
意地も張れないようで、何が人生。
意地とやせ我慢さえあれば、まぁなんとか自分の生き方は貫けるのである。
じゃあ自分の生き方って何だ、と聞かれれば、それはもちろん
毎日をそれなりに生きる、ただそれだけなのだが。
今更格好良くもなれなければ、粋にもなれない。
人には分相応があり、それが地を這う虫のような生き方でも、それはそれで許容していかなければ。
無論、これは一人だけで生きていく場合。
誰かと共に歩む事を考えるとなると事情がまたガラリと違ってしまうのだが。
コメントを残す