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子供と叱り方

図書館には中学校を半ばドロップアウトしたような子供が来たりするのだが、その子が小学生をいじめたり追いかけ回したり脅したりする、というような事件が起きてちょっとした問題になった。
実際に暴力を振るったりされたわけではないが、やはり年上の人間にそういうことをされた時の恐怖は察してあまりあるものだ。
ただ、その中学生を徹底的に叱りつければ解決するというわけでもない。
単純な方法としては、色々な形で圧力をかければ「その場の」解決にはなるが、それでは問題の根本的な解決にはならない。
こういった子供の場合、大抵は家庭内の不安定要素や学校になじめない、といった精神的な要素が多分に含まれており、その子供が単に図書館に来ないようにする、という方法では意味がない。
むしろ、図書館に来ることがその子供にとっての安全弁、あるいは安全器であるならば、図書館としてはその子供を受け入れてやるべきだろう。
かといって、現場で出来ることには限界があり、図書館はその子供にある一定のライン以上は踏み込めない。と同時に放置も出来ない、という矛盾を抱えている。
思春期の子供は大人の言うことを聞かない、というのはほぼ当たり前で、むしろ反抗しないと自我の形成が未発達になることさえある。正しいことを言っているにしても、受け入れられないと言うことはある。
この齟齬というか行き違いが問題をより複雑にしてしまう。
教育委員会や学校と連携してどうにかなるかと言えば、私は上手くいかないような気がする。
救う、という言い方は傲慢でおこがましいが、こういった子供に対するケアをどうしていくべきか、というのはまだ現場レベルの対応に頼り切っている感がしてならないのである。
本来、もっと上の方で抜本的な対策を考えてくれないと、自ずと限界がある。しかし、その上の方が天下りやら職員の単なる異動先に落ち着いてしまっているため、本当にやりたいという人間の身動きがとれていないのだ、という話も聞く。
全部が全部そうであるはずがないし、現場レベルの対応すら出来ていない、やる気がないという場所もあるが、もっと大人は本気でこういう問題に取り組むべきだ。
何にせよ、一個人の出来ることには限界があり、その少年に注意したり、脅された子供が不安にならないように館内を巡回したり、途中まで送ったりしたが、それさえ本来なら図書館としての業務を行きすぎている。
色々配慮してくれて助かった、などと言われたが、本当は逃げたいのだ。そして立ち向かっているわけでもない。
こういう気分の時に泣いたり出来るといいのだが、私から泣くという機能は失われて久しい。それは私という人間の欠陥の証明のような気がしてブルーになる。
解決出来ないジレンマは物凄く精神的な負荷になるのだが、どんな形にせよ、無力感ほど嫌なものはない。

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