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第48話「 宇宙番長対帰ってきたバレンタイン男爵」

 宇宙番長は機嫌がよかった。
  バレンタイン当日まではこの世を暗黒に染め上げることもいとわない気分であったが、練馬市役所女性職員の多数からチョコレートを提供されたからである。
  何故か男からももらったが、広い心で受け入れることにした。チョコに罪はない。
  義理かどうかは問題ではない。チョコレートをもらえる、ということが重要なのである。
  とはいえ、これは完全に出来レースであった。彼を支える『宇宙征服基金』と練馬市役所の利害が完全に一致し、宇宙番長への抑止力として「ワクワク女子チョコレート提供宇宙番長精神衛生状態改善計画・第98次報告書」として経済アナリストや政府関係者を交えて真剣に討議されたりした結果だということを宇宙番長は知るよしもない。
  この計画の最中、高級チョコレートがやたらに箱買いされたりしたのは味見のためである。計画に万全を期すためであり、関係者全員の体重が若干増えたこととは何の関係もない。会議室から出てきた一同の口のまわりにチョコレートが付いていたり、長い会議のわりには満足げな表情であったこともとくに無かった。プライバシーの関係と会議の秘匿性から防犯カメラが切られていたので証拠はないが、皆が口を揃えてそういうので絶対にそんなことはなかった。

  ということで宇宙番長は街にいた。
  ストレス解消と街の治安維持のために悪そうな奴は取りあえず攻撃しておく、というのが彼の日課である。前回のバレンタインでは街に相当な平和と被害を同時にもたらしたが、今回は本当に悪そうな奴だけを攻撃しているので街は平和だった。鋲付きジャンパーを着ていたりしたら、もうそれは悪確定である。ただの宇宙キックもサービスで錐揉み回転宇宙キック(威力16倍)に変更するなど気前の良さも相当なものだった。
「気分がいいものだな……チョコレートの心配をしなくて良いというのは」
  倒した36人目の鋲付きジャンパーの男をポリバケツに放り込みながら宇宙番長は満ち足りた笑顔で呟いた。
  街に活気が充ちているのが判る。そう、俺が守りたかった平和とは、こういうものなのだ。
  悪党を踏む音も耳に楽しく、どんなチョコレートを買うか迷う女子,あるいは既に貰って睦まじく並び歩くカップルの姿などをそこかしこで見かける。
  多くの男性にとって、バレンタインデーにチョコレートをもらうということは、単に『女の子からプレゼントされると嬉しい』と言う浮ついた意味だけを持つのではなかった。職場や家庭、あるいは地域の住民の一人として『存在している』『男性として認めてもらっている』『役割を期待されている』といった社会の一員としての確認儀式の意味合いを併せ持つのである。
  男性諸氏がバレンタインデーに一喜一憂するのはこのような側面があるからであり、バブル期の都会では至る所で決闘によりバレンタインチョコを奪い合う光景が見られた。宇宙番長の自宅から三つ離れた部屋に住む大崎 源三もその戦いを生き抜いた一人であり、彼の背中にはまるで巨大な刃物で斬られたかのような傷跡が残るがそれについてはまた別の物語であるのでここでは語らない。
  という経緯からも判るように、今日の宇宙番長はまさしく勝ち組であり、まさに「持っている男」だった。さらに隣に住む美人OLの陽子さんからも朝にチョコレートを貰えているのである。これを大勝利と言わずして何と言おうか。
「これで世界の恒久平和も近いな……むっ!?」
  全ては唐突であった。
  その一撃を避けられたのはまさに宇宙番長であったから、としか言いようがない。
  背後から迫ったそれは宇宙番長の首筋近くを浅く薙いでいた。一陣の風と思われたものは人間の手刀だった。殺気を感じて身を翻したのが僅かでも遅ければ、宇宙番長の頸動脈は寸断されていたかも知れない。
「おや、これをかわすとは……さすがですね」
  白いタキシードの男の優男が剣呑とした雰囲気で笑っていた。背後からすれ違いざまに宇宙番長を攻撃したのはこの男のようだった。
「じゃあアタシも試しちゃおうかしら」
  続いて雑踏の中から現れたのは身長190はあろうかという巨漢。短く刈り上げた髪と筋肉量からまるでラグビーの選手を思わせるが、派手なピンクのツナギのお陰で極めて風貌は怪しい。男の丸太ほどもある腕がスイングし、宇宙番長に叩きつけられる。
  宇宙番長は両手をクロスさせて拳をブロックしたが、勢いを相殺しきれず大きくよろめいた。ダメージはないが、とんでもない怪力だった。何度も受けきれるようなものではない。
「何者だ、貴様ら」
  既に宇宙番長と男達の周囲からは人の波が引いていた。
  二人の影からはもう一人の男が現れる。
「探したぞ、宇宙番長」
「なに?」
「この顔、忘れたとは言わせんぞ」
  シルクハットの偽物のようなピンクの帽子にピンクのタキシード。全身ピンク一色の怪人物は怒気を含んだ声で宇宙番長を睨み付けた。
「全く覚えがないな」
  本当に覚えがなかったので宇宙番長は正直に言った。
「一年前、貴様に敗れたジェームズ・バレンタイン。人呼んでバレンタイン男爵だ!」
  どう見ても日本人なのにジェームズとはどういうことか、ということに関する突っ込みは24話で終わらせているので割愛する。
「そうか。いちいち負けた奴の顔など覚えていられないんでな。
「粋がっていられるのも今のうちだ。有閑マダムの寵愛を一身に受ける技巧派ホスト『ハートキャッチ最上』、確かな母性を持つ男『ガイア大塚』、そしてこのバレンタイン男爵。愛の力に選ばれしこの三人が集まれば、倒せぬ敵など存在しない。ましてや、貴様のような暗黒の力の使い手には絶対に負けん!」
「やれやれ。ずいぶんな言われようだな」宇宙番長は余裕の表情のまま、構えさえ取らない。「雑魚が集まったところで所詮は雑魚」
  それに応えたのはハートキャッチ最上だった。
「我々はパワー・スピード・バランスの全てに於いて貴方に勝っているのですよ? フフ、私には貴方のそれは虚勢にしか見えませんね」
「馬鹿め。俺が一人でノコノコやってくるとでも思ったか? 後ろを見るがいい」
「なに?」
  そう言われた最上が後ろを振り向いた瞬間。
「宇宙キック!」
  ハートキャッチ最上の後頭部に宇宙番長のジャンプキックが炸裂した!
  なお、後頭部なのでダメージ2倍の補正が付くが、危ないのでみんなは真似してはいけない。宇宙番長はプロなので死ぬか死なないかのギリギリの線を見極めて手加減しているのである。たまに一線を越えて死んじゃいそうになっても手厚い看護で何とかしているだけである。宇宙番長を支えるバックアップ組織『宇宙征服基金』の医療技術は宇宙最高峰なのでちょっとやそっとのことなら大丈夫。平気、平気。今のところ死者はゼロです。
  まともにキックを受けた最上の肉体は猛烈にスピンしながら人混みの中に突っ込み、飛び石理論で10数名の人間をなぎ倒しながら反射して仲間達の元へ帰ってきた。すでに最上はズタボロである。
「最上! しっかりするんだ!」
「駄目よ……完全に気を失っているわ」
  というわけでトリオはペアに格下げ。
「クッ……この卑怯者め!」
  バレンタイン男爵は両手をワナワナと振るわせて激昂する。
  対する宇宙番長の視線は冷ややかだった。
「そもそも3対1のほうがよほど卑怯だろうが。劣勢を覆すために相応の策略を用いるのは当然のこと」
  そして嘲りの笑みを浮かべたまま、さらに続ける。
「愛だの正義だのとほざく輩は多いが、力なき正義など無力、無様の極みだ。そんな貧弱な力と前口上で、お前達は一体何を守るつもりだ?」
「よくも最上をやってくれたわね。絶対許さない!」
  戦車の如き威容でガイア大塚が宇宙番長へと突進する。
  体重95キロ。その殆どを分厚い筋肉で構成した大塚のタックルは、さらに愛という名の力によって大幅に強化され、光り輝く砲弾となって地を駆けた。
  対する宇宙番長も僅かに腰を落とし、正面からそれを受け止める。
  激突。
  衝撃波が大気を振るわせ、重い物が互いに衝突する鈍い音が響く。
  肩口から衝突したガイア大塚の身体は、突きだした宇宙番長の両手によって押しとどめられていた。
  ビルをも動かすほどの膂力を発揮するはずが、体格では明らかに劣る宇宙番長に真っ向から受け止められている。事前のリサーチでは宇宙番長を大幅に上回るはずなのに、だ。
「フフフ。どうした、ガイア大塚とやら。先程より力が落ちているぞ」
「う、うそよ……いったいどうして!?」
  ガイア大塚の動揺を見逃すような宇宙番長ではない。
「宇宙ダイナマイト!」
  ガイア大塚の両肩を掴んだ宇宙番長の掌から光があふれ出し、次の瞬間爆発的な閃光を伴ってガイア大塚の衣服が弾け飛んだ。大塚はまるで落雷に打たれたかのように白煙を上げ、膝から崩れ落ちる。
「そんな……パワー・耐久力共にトップレベルの大塚がああも容易く……」
  バレンタイン男爵は絶句する。
  三位一体、万全の布陣であったはずが瞬く間に打ち破られる……それは悪夢にも等しい出来事だ。
  ところで新技が出たので読者諸兄には解説せねばなるまい。宇宙ダイナマイトとは、相手を捕獲し両手に込めた宇宙エネルギーを直接流し込むことで、相手の生体エネルギーを暴発させる恐るべき技である。
  爆発したように見えるのは余ったエネルギーが体外へと噴出するためで、今回のように服が破れたりするので女の子への使用は固く禁じられている上、男性は全裸になることがあるので放送局は素早いモザイク技術が必要となるスタジオ泣かせの必殺技だ。今回の戦いは街角テレビ中継の特番の一環として放送されていたが、モザイク職人の動きが僅かに遅れたためお茶の間に0.5秒ほど大塚の股間が写ってしまった。常人ならば見過ごしてしまうような一瞬ではあったが、鍛えられた動体視力を持つ主婦には止まっているようなものであり、大塚のマグナムは十分堪能できただろうと後で噂された。
「さあ、残るはお前だけだぞ。バレンタイン男爵」
「おのれ!」
  バレンタイン男爵の手にしたケープが瞬時に棒状の物へと変化する。
  愛の力によってさらなる進化を遂げた『素敵なステッキ・エクストリームバレンタインモード』である。具体的に何が違うかというと、かつてはハンカチで行っていたが、今回はケープが素材なので前のステッキよりもちょっと(15センチ)長い。それは戦いに於いて絶対的なアドバンテージとなるのだ(本人談)。
「はああああ!」
  陽炎のように桃色のオーラをまとわせながら矢継ぎ早に突きが繰り出される……『奥義・ステッキ五月雨突き』である。
「ほう。流石に他の二人よりも力の扱いには慣れているようだな」
「浄化されるがいい!」
  憤怒の表情のまま突き込まれるステッキの乱舞は速射機関銃の弾幕を思わせた。常人ならざる速度は、確かに一年前の男爵の比ではなかった。なんといっても以前は『ステッキめった打ち』を出した瞬間にやられていたのだから凄い進歩である。
  とはいえ、一撃で岩をも砕くはずの男爵のステッキは宇宙番長を前にしてさしたる効果を上げていなかった。
  その違和感に男爵は戸惑う。
「暗黒のパワーを持つはずの貴様に、何故我々の力が通じない!?」
  男爵のステッキを受け流しながら宇宙番長はニヤリと笑った。
「怒りに身を任せた戦いなど俺に通用するものか。お前達のあてにしている愛の力とやらの弱点は既に知っている」
「な、なにぃ!」
「貴様らの力の源は、言わばこの場に充ちている幸福感や高揚感と一体化し自分の力にしているようなものだ。精神状態をかき乱して同調できなくすればエネルギーの供給を絶ったも同然よ」
  そう、宇宙番長の巧みな挑発は、すべてこのためにあったのである。本来の力を発揮すれば、男爵の攻撃の前にはさしもの番長も苦戦を強いられたであろう。
「それに、今の俺にはこういう事も出来る」
  宇宙番長の身に薄い膜のような物が張り巡らされていく。
  そしてそれがステッキに触れるや否や、まるで磁力が反発するかのように力が反らされた。
「この力は……まさか我々と同じ!?」 
「貴様らの力と同質ならば、俺を傷つけることは出来まい」
  バレンタイン男爵に比べればその力は微弱とも言えるが、宇宙番長が身にまとっているのは紛れもなく彼らと同質の力……そう、愛を源とするエネルギーである。
「愛を語るキャラより、ポジション的にはむしろ悪役のほうなんじゃないか」と思われる読者諸兄も居るだろうが、今日の宇宙番長はチョコレートをもらって上機嫌である。つまり、限りなく光に近い属性を持っているのだ。元々の力の源を宇宙エネルギーとする宇宙番長にとって、今の精神状態ならば周囲の光の力を転換することはそう難しいことではなかった。
「だが!」
  宇宙番長の左手には不気味なオーラが宿っていた。
  心胆を寒からしめるほどに禍々しい、闇の凝縮。
「馬鹿な……そんなことが! 光と闇を同時に扱うなどと!」
「俺自身が今、暗黒のパワーを用いることは出来ない……しかし、すぐそばに暗黒の力の源があれば別よ」
「源だと……まさか!」
  街にいるのは何もバレンタインで浮かれる人たちばかりではない。敗れ去る者、傷つきし者、絶望する者など暗黒のオーラを秘めた人間が多く彷徨い歩いている。一人一人の力は弱くとも、それが堆積すれば巨大な闇の力が生まれるのだ。そして人の世が続く限り、嫉妬や絶望といった暗黒のエネルギーが尽きることはないのだった。
  どう見ても悪役の力であるが突っ込んではいけない。宇宙番長は宇宙の支配者なので、平和を守るためなら時として非情な手段を用いねばならないこともあるのだ。いつも非情な手段を使っているような気がするのは気のせい。幻覚です。
「ぐわあああああ!」
  と解説しているうちにバレンタイン男爵がやられた。
  戦いが終わってしまったので説明すると、ダークネスいいかんじカウンターが今年も炸裂したので77回転ほど錐揉みしながら暗黒エネルギーに包まれて全ての力を失い気絶。バレンタイン男爵は倒れた。
  ここにトリオ・ザ・ピンクバレンタインは全て倒れ、宇宙番長の勝利が確定したのである。
  
  戦いは終わった。街には平和が戻り、バレンタイン男爵との戦いというちょっとしたイベントは夜の街を大いに盛り上げた。
  今回の戦いでは回転する最上に巻き込まれた観客が数名病院に運び込まれたが、すべての人間にチョコレートの代わりに鎮痛剤と包帯、それにギプスが振る舞われた。
  戦いは怪我人16名、鋲付きジャンパーの悪そうな奴の修正47名、逮捕者1(わいせつ物陳列罪)という結果に終わった。建造物の被害がないという奇跡的なことに加え、自発的に喧嘩を売らなかったので特にお咎め無しという珍しい日となったのは記録するに値する出来事である。
  なお、信じられないことだが、鋲付きジャンパーの男達は『秘密結社・鋲付きジャンパーズ』の一員であり、国家転覆を狙う悪の零細組織の構成員で本当に悪い奴だったのだが、宇宙番長によって何となく壊滅させられていた。
  
  こうしてバレンタインの平和を守った宇宙番長。
  だが、まだまだ世界の恒久平和の日々までは遠く、世界中からチョコを貰うという野望の達成もまだ成されていない。
  平和とチョコに充ちた日々のため。
  行け宇宙番長!
  戦え宇宙番長!