shadow Line

第21話 「師匠の名は宇宙仙人」

 

 山手線。
 ひと組の男女が、座席に腰掛けて仲むつまじく戯れている。
周りの人間はそれを見て見ぬ振りというか昼間からいちゃつきやがってこのバカップルどもめ、ふざけんな!死刑!銃殺!イヌ!脳!小鳥!という視線を送っていた。
 とその時。
「うっ」
 カップルの前に立っていた老人が胸を押さえて呻く。
 老人にしては派手な革ジャンと、手にした杖が全くもって合っていないが、そんな事はさておき突如発作を起こした老人は瀕死の状態だった。
「ぐぐぐぐっ」
 老人はいかにも苦しそうで、脂汗を滲ませながら床に膝をついた。
 手にした杖が甲高い音を立てて転がっていく。
 座っていた二人は慌てるが、その膝を震える老人の手が鷲掴みにした。
 老人とは思えぬ力だ。
「儂は負けん」
 老人は呟いた。
 額には汗が浮き、顔は真っ赤だ。
 呼吸も荒い。
「死んでたまるものかよ」
 老人は男の膝を掴んだまま独語する。
 それは、老人に残された最後の輝き。
 最後の力。
 萎える膝に渾身の力を込め老人は立ち上がった。
 逃げるに逃げられないカップル。
 周囲の冷たい視線。
 そして座席はシルバーシートである。
「まだ儂は戦える」
 荒い息をついて、老人はカップルの前に立ちはだかった。
 鋭い眼光で二人を見据える。
 恐怖と混乱。突然の事態に二人は頭が真っ白になり、どうしたらいいか判らない。
 車内は一種異様な雰囲気に包まれた。
 乗客の間で沈黙の均衡が破れようという刹那、電車の速度が緩む。
 駅に着いたのだ。
「めじろー、めじろー」
 電車が止まると同時に、カップルは脱兎の如く駆け出し、逃げ去っていった。
 老人はにやりと笑い、逃げ出した二人の後ろ姿を見送る。
「若造が。シルバーシートに座るなど60年早いわ」
 そして老人は自力で奪取した王座につき、一息ついた。
 希代の演技で若者を撃退した老人の周りを、サラリーマン達が囲んでいた。
 皆一様に顔を紅潮させ、中には汗さえ滲ませている者がいる。
 芝居を打って惑わしたことに腹を立てているのか。
 そうではなかった。
「いいものをみせてもらった」
「胸が熱くなったぜ」
「爺さん、アンタ最高だよ」
 老人は親指をグッと立てて、サラリーマン達の賛辞に応えた。
 そして老人は池袋駅で降り、足取りも軽く歩いていった。

 ところ変わって練馬市役所。
 今日も宇宙番長は働く。
 といっても朝から晩まで、山積みの書類に印をバシバシ押すだけなのであるが。
 飽きたときは適当な書類を決裁せずに
「これ、やり直し。良く検討しろ」
 などといって却下したりするが、よく見てないのでそれが市長室防衛力強化の案だったりしても破棄されたりする。
 つまり全然内容を見ないでそんな事を言っているわけだが、でもそうでもしないと仕事をしたように見えないのでとりあえずそうするのだ、というのが宇宙番長の意見である。
 要約すると、見せかけだけ。
 たまにそれで墓穴を掘ったりするが、本人は全然気がつかない。
 電話が鳴り、秘書戸口 明が受話器を取る。秘書といっても名ばかりで実は宇宙番長が仕事を放り出さないための監視員だったりする。監視がついていないと宇宙番長は視察と称してすぐ逃げるからである。
「市長。なんか宇宙仙人とか言う老人が逢いたいと言っていますが」
「宇宙仙人?」
 その名に覚えがあるとすれば一人だけ。
 自分の祖父であり、自分に戦う術を教えた男。
 秩父の山奥に隠居したはずの老人が、何故こんなところに。
 というか、何しに来たのだ。
「玄関にいるのか?」
「こっちに向かっているそうです」
 清水が言い終わるか終わらないかのうちに、執務室の扉が開く。
 現れたのは、革ジャンを身につけたあの老人である。
「よう!」
 そしてやたらにフレンドリー。
「景気はどうだ、練馬市長」
「見たとおりだ」
 宇宙番長はちらりと一瞥しただけで視線を机に戻す。
 また一段とかぶいた格好になっている祖父を見、なるべく身内だと知られたくないな、と宇宙番長は心から思った。
「与太話なら後にしてくれ。見ての通り、忙しいんだ」
「祖父が小遣いせびりに来たというのに何という仕打ち」
  宇宙仙人は胸の前で大きく十字を切った。
「おお神よ。孫が最近冷たいのです」

でも実家は仏教。

「人にくれるほど俺は金持ちじゃねぇ」
 宇宙番長は吐き捨てるように言った。
 宇宙の支配者、宇宙番長の小遣いは月に5000円である。
「安心しろ」
  宇宙仙人の目に剣呑な光が宿る。
「仕事は儂が引き継いでやるわい」
「どういう意味だ」
「どのぐらい腕を上げたか、試してやろうというのさ。負ければ、儂が練馬市長だがな」
 老人は手に持った杖を振った。
 その動き一つで杖は7つに分離する。見た目こそ普通の杖だったが、一つ一つの部品は鎖で繋がれていて、鞭のようになっていた。中国武術でも使う武器、7節棍である。
 得物を出すとは。
 爺さん、本気か。
「冗談は程々にしておくんだな。爺さんといえども、俺は容赦しないぞ」
「ほう、殴れるか、この儂を」
 宇宙番長は椅子から立ち上がると、何の躊躇いもなく宇宙仙人にむけて必殺の正拳を放った。

「宇宙パンチ!」

「ぐあっ」
 宇宙仙人は豪快に殴り飛ばされ、中央庁舎の壁をつき破って駐車場へと落下した。
 すかさず追いかける宇宙番長。
 仰向けに倒れていた宇宙仙人は素早く起きあがり、自分の孫と対峙する。
「なんてお約束な奴だ。老人を本気で殴りおって」
「そうやって油断させておいて攻撃する手口は相変わらずだな」
「見抜かれていたか・・・・・」
「そのように鍛えたのは爺さん、アンタだろう」
「そうか・・・そうだな」
 宇宙仙人は悟ったような表情でうなだれた。
 やっと大人しくなったか。
 宇宙番長は少し安堵した。
 挑んできたとはいえ、身内を殴るのは少々後味が悪い。
 宇宙仙人が、首を小刻みに動かしている。
 殴った拍子に首を痛めたのか。
 だが。
 宇宙仙人の見事に禿げ上がった頭が陽光を鋭く反射し、宇宙番長の視界を射抜いた。
「わっ」
 目を灼かれ思わずのけぞった宇宙番長の腹を、宇宙仙人の7節棍が激しく突く。
 今度は宇宙番長が吹き飛ばされた。
 中庭にあった石碑を打ち砕きながらその後ろの松の木までもなぎ倒し、しかしさすがに勢いを減じた宇宙番長の体は中央庁舎の壁面に亀裂を入れながらも停止した。
  倒れた松の木は練馬市役所電算室を直撃し、清水妙子が1週間かけて入力したデータを消滅させつつ「ばちっ」とか「ぶしゅう」という音と共に火を噴いた。
  この事件には色々続きがあるのだが戦闘中なので詳細はまた後で。
 ということで宇宙仙人は腹を打たれて悶える宇宙番長に膝蹴りをたたき込み、反撃しようと放たれた左フックを飛びずさって避けながら、顎を蹴り上げる。
「むう」
 起きあがった宇宙番長の首に、七節棍が絡みつく。
 宇宙仙人は跳び上がってもう一本の松の木を飛び越した。
 しまった、と思うまもなく、首を絡め取られたまま宇宙番長の体は宙に浮く。
 絞首台に吊される、囚人のように。
 自分の体重で首が絞まっていく。
 このままいけば気道と動脈を同時に締め付けられて失神する。
 首を締め上げる鎖を片手でしのぎながら2,3度反動をつけて支点となる枝を蹴り上げ、へし折ることで難を逃れた。
 着地と同時に首に絡みついた七節棍をたぐって宇宙仙人を引き寄せるが、相手はあっさりと得物を棄てる。
 宇宙番長も、首に絡んだそれをほどいて棄てた。
「貴様・・・・やられたふりをしたのは、陽光で目眩ましをするためだったな」
「クックックッ。才気溢れる者をも出し抜く、若造が決してたどり着けぬ境地・・・・・これが「老獪」というものよ」
「あー。俺は個人が読む本には口を挟まない主義だが」
宇宙番長はその台詞の元ネタを知っている。
「いい年して少年漫画に影響されるのはやめろ」
「なにおう。男のロマンを馬鹿にするとは」
「ロマンは関係ないだろ。そのうち著作権とかに引っかかるぞ」
「ふふふ。この歳にもなれば怖いものなど無しよ」
 ちょっとは気にしろ。
「そんな姑息な手段でしか俺と戦えないようでは勝負は目に見えてるぜ。諦めて帰れ」
「フッフッフ。見た目に惑わされているようではまだまだだな、宇宙番長」
「なにい?」

「はぁぁぁぁぁ」

 気合いと共に、宇宙仙人の肉体が膨張していく。
 もともと老人とは思えない筋肉をしていたが、息吹と共にさらに膨れあがり、身につけていた革のジャンパーがそれに伴って綻び、千切れていく。
 この革ジャンは渋谷にたむろするチーム「羅酢狩」のリーダーと決闘したさいに友情の証として送られた物であるがそんな事とは関係なく、ビリビリのズタボロに破れる。
 老人相手に本気でタイマンするチームってどんなだ、と突っ込みたい読者もいるだろうがページの都合で割愛。リーダーであるイヌフグリのジョーを筆頭にドラゴン反町やヤンパパン池沢といった剛の者が名を連ねる超高校級武闘派集団である。
 でも登場予定は特にない。
「馬鹿な」
 そこにいるのは、もはや老人とは言えなかった。
 頭以外は超人ヘラクレス、みたいな感じでムキムキのマッチョに変貌した宇宙仙人は鼻息も荒く宇宙番長に迫る。
「行くぞ!」
 倍にも膨れあがった剛腕が唸りをあげた。

「宇宙百裂拳!」

 何処かで聞いたことのあるような名前を叫んで宇宙仙人はもの凄い速さでパンチを繰り出す。
 その威力に気圧されながら、宇宙番長は懸命にそれをブロックする。
「この技は・・・・まさか!」
この連撃。その肉体。
「前練馬市長と同じ技…………!」
「フフフ、その通り。あやつに伝授した、この宇宙神拳に勝てるかな」
「お前、似たような技を俺に教えたときは宇宙空手って言ったじゃねぇか」
「創立者は儂なんだから、名前はどんな名前付けてもいいんじゃよ」
「嘘つき! 詐欺師!」
「実の祖父に向かって何を言うか。敵を欺くにはまず味方から、よ」
この場合、味方ですらない。

「宇宙パンチ!」

 創始者の放つ宇宙パンチはガードの上から宇宙番長を吹き飛ばした。
 何という威力。
 スピードは自分の方があるが、威力を比較するならばやはり奴の方が上か。
 辺りから歓声が聞こえる。
 見れば、窓から身を乗り出して職員達が叫んでいた。
 宇宙番長は胸が熱くなる。
 俺を応援してくれている市役所の職員のためにも、俺は負けるわけにはいかん。
 宇宙番長は起きあがった。
 歓声に応えようと手を振ったが誰も見ていない。
 彼らの視線はあらぬ方向を見ている。
「まさか?」
 後ろを仰ぎ見ると、黒い煙がもうもうと立ち上っていた。
 応援にしてはいやに騒がしいと思ったら、火事のことを叫んでいたのだった。
「どうした。役所が燃えているのが気になるか?」
「当たり前だ」
 火災原因はいうまでもなく先ほどの電算室の火花である。
 俺の市役所が。
 宇宙番長は躊躇う。
 消火を手伝えば、この狡猾なる老人はその隙をついてくるに違いない。
 だがしかし。
 宇宙番長は自分の執務室、練馬市長室を思う。
 あそこには、俺の財布が入っているのだ。
 残金2358円。
 燃えたら一大事。
「そんなに気を散らしていて儂に勝てると思うなよ」
「そうだな。そんな事に気を取られている暇はない」
 宇宙番長の姿がかき消えた。
 少なくとも、宇宙仙人にはそう見えた。
 一瞬の隙に間合いを詰めていた宇宙番長は宇宙仙人のみぞおちに拳をたたき込む。
 あまりの衝撃に宇宙仙人が倒れる間もなく、振り上げられたかかとが打ち下ろされ、宇宙仙人の体は地面に深くめり込んだ。
 そしてそのまま動かなくなる。
「しばらく眠っててもらうぜ」
 言い残し、宇宙番地用は燃える市役所を見る。
 水で消火している暇はなかった。
 ならば。
 宇宙番長はおおきく跳び上がる。
 市役所を遙かに飛び越え、しかし狙いは練馬市役所に定められていた。
 類焼を防ぐのに一番手っ取り早いのは、燃えそうな部分を壊すこと。
 落下の加速度の加わった宇宙キックは練馬市役所西庁舎電算室付近を貫く。
 遅れて衝撃。
 渾身の力を込めて放たれたキックは宇宙番長の体を中心に周囲を崩壊させた。
 だがそれでは火は消えない。
 やはり水か。
 水道、池、消火栓。
 逡巡し、一つ思い当たる。
 東庁舎屋上の、貯水タンク。
 あれを使えば、消火は出来ずとも、火の勢いは弱まる。
 後は消防隊の仕事だ。

 三度の跳躍で宇宙番長は東庁舎の屋上へと移動していた。
 ちょっとしたウエイトリフティングみたいなもんだな。
 思ったよりも大きい貯水タンクを前に、そんな事を思う。
 宇宙番長は貯水タンクに近づき、その縁に手をかけた。
「ぬおおおおおっ」
 気合いと共にタンクを固定していた留め金が外れる。 
 予想以上に重い。
 が、何とか持ち上がる。あとはそれを輸送して中の水で火の勢いを弱めればとりあえずは大丈夫なはずだ。
 背後に気配。
 宇宙仙人の姿がそこにあった。
 しまった。
 回復するのが早すぎる。
 さすがは俺の爺さん。
 などと感心している余裕はなかった。
 やられる!
 宇宙番長は舌打ちするが、とどめの一撃は来なかった。
 宇宙仙人はすたすたと歩いてタンクの後ろに回り込み、タンクを支える。
「爺さん………」
「馬鹿者、早くせんか。重いだろうが」
「そうだな」
 二人は渾身の力でタンクを打ち上げる。
「やるぞ」
「おうよ」
師弟二人は大きく跳び上がった。

「ダブル宇宙キック!」

 師弟の合わせ技、奇跡のダブルキックは貯水タンクを空中で爆砕させ、散らばる水流は火災部分にあまねく降り注いだ。
 燃えさかる炎が収まっていく。
 協力して消火にあたった二人の背後で、消防隊のサイレンが近づいてきた。

 市役所を包んだ劫火は建物もろとも鎮火し、市役所自体は木っ端微塵になったが付近の家々は類焼を免れた。
「よいか。仲間と手を合わせればこのような奇跡も可能なのだ」
「奇跡か?」
「まだまだ甘いが、前よりは大分ましになったな」
「それを試すためにここまで来たのか」
「そうとも。まぁ、お前の家族が少し心配しておったからな。様子を見に来たついでだ」
「ついでの割には本気で襲ってきただろ。市役所滅茶苦茶にしやがって」
 宇宙番長は当たりの惨状に目を走らせる。
「直すの手伝えよ」
「日々精進。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
 宇宙番長の言葉を聞かなかったふりをして、宇宙仙人は踵を返す。
「待ていっ」
 捕獲しようと伸ばした宇宙番長の手を、宇宙仙人はひらりとかわした。

「いい感じカウンター!」

「ぶべらっ!」

 本家・本元のいい感じカウンターを受けて宇宙番長は5メートルほどぶっ飛ばされ、瓦礫の中に埋没する。
 起きあがったとき、既に宇宙仙人の姿は無かった。
 後に残されたのは瓦礫の山。
「野郎……………逃げやがった」
 仕方ないので宇宙番長は消防隊の人と一緒に瓦礫を片づけ始めたのだった。

 そうしてちょっといい話で締めていった宇宙仙人。
 でもあちこち壊したから被害額は結構凄い。
 だからこそ、宇宙番長に休息は許されないのだ。
 たまには物を壊さないように
 行け!宇宙番長!戦え!宇宙番長!