shadow Line

<黒の長腕>ー天敵

 この炎は……ランツエンレイターのものじゃないはずだ。
 誰かいる。もう一人。
 五感を働かせるが、気配は読めない。当たり前か。ランクZとペアを組むほどの腕。
 となると、該当者は「クリムゾン」……くらいか。
 俺の天敵。厄介な奴を連れてきやがった。
 そうまでして俺を消したいのか。だが、そんな提案にはつきあってられない。
 闇を地面に広げる。半径10メートルほどが喰われて消失した。
 そのまま下水の中に身を躍らせる。
 俺がこの世界で生き延びてこられたのは、逃げ方に手段を選ばなかったからだ。
 真の闇と、人工の闇。追ってこられる奴はそうはいないだろう。
 念の為、息が続く限り走った。呼吸が荒くなったところで歩きに変える。
 呼吸の回数が増えると、肺の痛みが激しくなった。下水道の中の空気は冷たい。その上、眩暈をおこしそうなほどに臭い。有毒なガスも当然混じっているだろう。今度から、急ぐ時には避けようと思う。
 ここまで来れば、振りきれただろう。
 念の為に気配を探るが、隠しているような不明確さがない。逃げ切れたようだ。
 気付けの為にフラスクを取り出した。こんな環境で飲むような下等な酒ではなかったが、仕方がない。
 それにしても、「クリムゾン」を雇うとは。
 やはり、マリィに雇わせておくべきだったか。
 味方にはしたくないが、敵にするには最悪の奴だ。
 なにせ生粋のサディストで遊び半分に人を殺す男だ。陰湿に加えて執念深い。狙った獲物は何処までも追いかけてくる。
 追いかけるのも追いかけられるのも勘弁したい相手だ。 
 フラスクに口を当てる。まだ傾けていないのに、中身が口に注がれてきた。
 振動。それを察知する前に、天井が砕け、進路が塞がれた。
 砂塵の中から、不気味にシルエットが浮かび上がった。
「見つけたぜドブネズミ」
 舌なめずりをして近づいてくる。
 広げた両手に炎をまとわりつかせながら少しずつ歩み寄ってくる姿は、どう見ても歓迎したい気にはさせてくれなかった。業界屈指のサディストといわれるが、人をレアに焼くことで性的快感を得るような男など、変態以外何者でもない。
 そんな変態趣味のために丸焼きにされるのも御免だった。 
 かつてはこいつと同席にいたわけだが、馴染んだことなど一度もない。
 むしろ同類と思われるのが迷惑だ。
「いきなりご挨拶だな」
 俺は軽く答えながら状況を把握する。
 瓦礫はよじ登れないこともないが、登っている間に炭にされる。 
 逃げ場は無し、か。
「久しぶりだからな。そしてさようならだ」
 クリムゾンの両手に火が灯る。
 集中次第では数千度まで温度を上げることが出来る、発火能力。
 物理攻撃能力者としてはかなり上位ランクに位置する男だ。
 こんな密閉空間で相手にするには少々きつい。
 クリムゾンはもういつでも能力を使える状態にある。奴の「抜き」の速さはこの距離では致命的だ。思った瞬間、奴の「スカーレット」は俺を炎で包み込むだろう。
 速さを優先したときの温度は2、300度。奴の最大温度に比べればずっと低いがそれでも生身の人間にはちとつらい。
 肉を切らせて骨を断つような真似は出来ない。   
「見逃してはくれないか。旧知のよしみで」
「ダメだ」
 こいつとは、色々確執もあった。
 大手を振って狙えるとなれば、逃すはずもないだろう。
 やるしか、ない。 
「そうかい。それは残念だ」
 俺はホルスターから銃を抜き、素早く放つ。
 どこを狙っている、と言いたげにクリムゾンが避ける。
 しかし、次の瞬間その顔が驚きに彩られる。俺の放った、赤い閃光弾に照らされて。
 俺は僅かに集中する。赤光が闇を孕み、クリムゾンの四方で膨張した。
 けれど、不意をつかれたクリムゾンの顔が、再び不敵に歪められた。
「バカが。一つ覚えじゃ通用しねぇんだよ」
 その紅蓮の炎が、闇を切り裂く。
 これが、クリムゾンが俺の天敵である理由だった。「赤い」炎は「アブソリュート」を元の姿へと還元させる。
「その通りだ」
 俺は集中を続けた。「アブソリュート」を切り払うための炎が、新たな「アブソリュート」を孕んでいく。
 闇が鎌首をもたげ、大きな顎を開く。
 無数の闇の蛇は、宿主の身体を蹂躙した。
 アブソリュートは、赤い色を嫌う。それでも食え、と命令すれば、食えないことはない。ほんの数ミリ、表面を削り取る。
 人間相手にそれをやれば、血であっという間に赤く染まってしまう。それを喰えと命令し、アブソリュートは少し囓る。その繰り返し。体の表面を少しずつ喰われていく。死ぬまでに一瞬、というのは、辺り一面を真っ暗にでもしなければ無理だ。対象は全身を削り取られながら、死までの長い時間を延々と悶えることになる。
 クリムゾンは炎で闇を切り開き、アブソリュートはそれに照らされたクリムゾン自身を削る。
 その光景は、正視に耐えないものだ。
 俺の能力を知るものならば、アブソリュートを受けて死にたいなどとは思わないだろう。この陰惨な力こそ、俺が12ディアボロスのなかで最も恐れられた理由だ。別に俺がこの力を楽しんで使っていたかというと、決してそうではないのだが。
 クリムゾンは狂乱して炎をかざすが、それが己の体を削る闇を生む。だが炎を消せば、配管の中は殆ど闇だ。一瞬にして全身を喰われる。
 この闇の世界でクリムゾンが俺に勝つには、最初の一撃で俺を消し炭に変えるしかなかった。そうすれば俺は何の抵抗も出来ずに死んでいただろう。
 だがクリムゾンには、自分の能力が、赤い炎が、俺の闇をかき消すことが出来るという油断があった。
 炎と断末魔のステップが止み、下水に沈む。
「あばよ、ドブネズミ」
ドブネズミの残骸は下水に運ばれて消えていく。ゲスには相応しい、死に場所だろう。感謝してもらってもいいくらいだ。