shadow Line

ランクZ

「そりゃ俺たちに死ねって言っているのか?」
 マリスの驚愕を俺が代弁した。内容は俺の主張だが。
 ランクZに挑むというのは、裸で深海に行くよりも無謀な行為だ。特に、俺のような生身は反射速度すらついてけるかすら怪しい。正直言って、死んだのに気がつけばいい方だ。下手をすると、死んだことにも気がつかないぐらいあっさりやられる公算の方が大きい。
 マリィのランクから言えば俺などせいぜいCかBといったところだ。
「君の解析不能の力はそのためにあると思うけどね」
「俺の『アブソリュート』をあてにしているのなら勘違いもいいとこだぞ。確かに直撃すれば即死だが、そんな相手なら絶対にかすり傷にしかならないからな」
「死んでもらっちゃ困るんだ。『絶対にかすり傷』というのは大事な要素だよ、ムッシュー」
 褒められているんだか、けなされているんだかわからんな。
 しかし、これでは自分の半身を探す余裕などないかもしれない。何より、命が危ない。
 最強とか無敵とか、そんな言葉が詭弁でしかないのは良く分かっている。マリィと云えど、それを実現することは不可能だった。
 ランクZ。その存在は伝説で、マリィを「人形使い」たらしめている重要なファクターだ。ともすれば神にも例えられる強さだが、彼らが最強に至ることはない。
「それで、何体奪われたの」
 そう。ランクZは一体ではない。全部で七体。その数だけ世界を滅ぼせると連中が、マリィ一人に握られている。けれど、だからこそ最強ではありえないのだ。
 ネットワークをうろつかない俺ですら、その伝説は耳にする。ましてや、ネットワークに生きる者たちにとって生きた神話であるマリィの存在は、好奇心を刺激して止まない情報だ。ランクZなどその際たるものだが、マリィが謎の人物なのと同じく、その情報はほとんど外部に漏れていない。
 ランクZが七体存在する。これがデマだったら、俺はすげぇ強い程度の知識しか持ち合わせていない。
「一人、だよ、マドモアゼル」
 それでも、一度死ぬには十分な脅威だ。一度で済めば幸いだが、一度以上死ねない。
 死体が残ればいい方だろう。少なくとも、墓は建てて貰える。
「大丈夫。幸い、彼は外部からのアクセスに対する抵抗力は強いから、どれだけのデッガーを揃えても僕ほどには扱えないよ」
「で? マリィ以外の人間しか扱えないランクZがどうして奪われたりしたんだ」
 ランクZはその能力の高さに準ずるだけの高いセキュリティを持つはずだ。多層構造のセキュリティはそう易々と突破されるものではない。らしい。これもデマだったら笑えない。
「察しはついていると思うけどね、ムッシュー」
「あのメガネ野郎の手持ちなら、逆さにしたってランクZには手が出せないはずだ。まして奪い取るなんて核兵器を強奪するより難しいぞ」
 いや、そんなのと較べちゃダメか。核兵器なら、俺も強奪させられた事がある。核だなんて思いもしなかったが。
「人の作ったものにはどこかしらに穴があるものでね。彼らは元は人間だ。人間には自我がある。……僕の言いたいことはわかるよね、ムッシュー?」
「抑圧していた自我をこじ開けられたか、新たに付与された……といいたいのか?」
「そんな感じ。でも、それもうまくはいかなかった。……君のせいでね」
 そういえば、メガネ野郎の手下もなにか言ってたが、本当に心当たりがない。ひょっとしたら、ヤツの仲介なしにマリィの仕事を引き受けたからかな、と思っていたのだが。
「君の『アブソリュート』が欠けた半身を満たそうと吸収する作用があるのと反対に、君の半身は満たすために生み出すことができる。その能力を利用して僕のセキリュティを突破したし、人格を書き換えようとした。付与というよりは付加だね」
 脳裏に「受けるよりは与える方が幸いである」と、聖書の一節が浮かんだ。どうやら、半身は救世主らしい。
 ならば、俺がユダになるのか。先は暗そうだ。
「それで、俺がどう関係するんだ?」
「相手も半分だということだよ。半分の増幅作用では、僕のセキュリティは突破できなかった。君が生きていたからね」
「……逆恨みじゃないか」
「そうとも言うね、ムッシュー。でも、それが原因で『エンレイター』が暴走し、弟クンが巻き添えになったら、逆恨みもするんじゃない?」
 そんな感傷的な理由で動くような奴ではなかったような気もするが、人の半身をいいようにあつかったあげく逆恨みではたまったものではない。
「そんな理由で狙われる筋合いはねぇ」
「それじゃ、キミがこの前関わった事件に巻き込まれて治療中だったから逃げられなかった、と付け加えたら?」
 …………それなら正当な恨みか。
 まあ、巻きこまれたヤツは悪党しかいなかったはずだし、別に良心は痛まない。
 もっとも、奴の弟であろうと何だろうと、人の邪魔をして怪我をした奴の言い分などいちいち聞いてはいられない。
 どうやらメガネ野郎はきっちり始末しなければならないようだし、そうしなければ事態は解決しない、ということだろう。
 マリィの利害とも一致する。
 だが、俺はどうも釈然としない。
 事がうまく整いすぎている。
 全てのキャスティングが、一人の男に直結している……できすぎた話だ。誰かがお膳立てしなければ、こんな事にはならないのではないか。
 そして目の前にいる人形使いは、それが出来るだけの力を持っている。
「出来過ぎね」
 俺の疑念を代弁したのはマリスだった。闘いの前に不安定な要素は取り除く。当然のことだ。
「あなたには借りがあるし、あの男が関わってるなら異存なく動くけど、ランクZを動員すれば事足りるわ」
 まったく同感だ。その点が、疑惑の歯車に拍車をかける要因だろう。
 俺とマリスには動機がある。けれどマリィのそれは、ランクZ一体の投入で氷解する。
「確かに、彼らは僕という個を構成する最重要なファクターだけど、使う気はないよ」
「何故?」
「彼らは、安穏とした生か安息の眠りを欲した。僕は、その片方を提供した。だからだよ、マドモアゼル」
 符合しすぎる。マリィの言葉の意味はわからないが、俺とマリスという代替品は、的確に空虚を占める存在だ。
 歯車が、ゆっくりと回り出すように、俺はマリィの投げたタバスコの瓶を受け止めた。
「アブソリュート」は触媒として赤を欲する。赤い色に反応して発動し、赤を避ける性質を持つ、奇妙な力だ。
 タバスコはそのための触媒だ。同じ赤でも、血は触媒として適さない。どういう理論でそれが選択されるのかはわからないが、ともあれその性質のせいで皮膚は消失させるが、血で満たされた肉にはそれほどのダメージを与えられない。
「半殺し能力」とマリスに揶揄されたこともある。
 どちらかといえば拷問向きの能力なのかもしれない。だが、血の通わない、もしくは中身の赤くない物体に対しては文字通り「究極の力」となり得る可能性を秘めている。
「俺にアブソリュートを使わせると言うことは、お前のランクZは無傷では帰ってこない。そこのところは覚悟しておけよ」
 アブソリュートに触れたものはこの世界から削り取られて、永遠に失われるのだ。
「予定範囲内なら、ね」
「安心しろ。とてもじゃないがランクZを殺せるような力は持ってない。それを知っていて、俺を選んだのだろう?」
「いや、全然」
「は? 違うのか?」
「『青は藍より出でて、藍より青し』というじゃないか。それに、ランクZには、その戦闘能力とは別個に、分子レベルでの強力な再生能力を有しているから、僅かでも残っていれば肉体の再構成が瞬時に完了するよ」
 ……死ねと言われてるのだろうか。そんな最新鋭のナノテクを相手にできるわけないのに。しかも、俺は生身だ。
 やはり、ランクZを動員するべきだ。というか、してくれ。
「それじゃ、健闘を祈ってるよ」
 いいながら、マリィの姿は消えてしまった。疑念の解消には到らないし、要領を得ないことばかりだ。
「行ったわね」
「仕方ない。気休めに、何人かボディガードでも雇うとするか」
「心当たりはあるの?」
「ないことはないな。金さえもらえれば絶対に裏切らないってやつを一人知っている」
 マリスが顔をしかめた。
「……それ、『金さえもらえれば、何でもやる』も含んでるわよね」
「当たりだな」
「気乗りしないわね」
「下手なやつよりは信用できると思うがね。今の時間だと……ゴールディはカジノだな」
「成金」とは皮肉の効いたニックネームだ。本名は知らないが、実力と金への執着ぶりは、知れ渡っている。
 二度ほど組んだことがあるが、報酬の半分以上をごっそり持って行かれたのは記憶に新しい。
 まぁ働いたのはほとんどあいつだから別に異存はないが。金の分はきっちり働くし、雇い主の期待も裏切らない。そういう意味でも、プロフェッショナルといえる。
 どちらかと言うと、サポート向きのヤツかも知れない。手助けを頼んだのはもう少し数を重ねる。
 しかし、敵の規模を考えると、もう少し駒を揃えたいところだ。三人で対処するには、余りにも強大な相手だ。
「マリスの方は、誰かいないか?」
「……キーちゃんとコーちゃん」
 俺は、不満を露骨に顔で表現した。ついでに呻いてみせる。
 黄連雀と十二紅は、裏ではかなり名の知れた能力者だ。どちらも、メガネ野郎の飼っている能力者とは桁外れの力を有している。だが姉妹、というか双子なのだが、あいつらには重大な欠点がある。俺も、散々迷惑をこうむった。
 バカなのである。
 否、あのバカ姉妹には「大」という接頭語を付けるべきだ。
 それぞれの通り名は、美麗な羽根を持った鳥の名称と別称なのだそうだ。似ているのは、頭の中身ぐらいだが。
「……まあ、そっちは任せる。明日、この時間にここで会おう」