shadow Line

序曲

 寂しげな街中、人波に紛れ込む。
 誰ではなく、誰かでもない。全体の中の個。そう自分を認識する。
 人とはそういうものなのではないか、と。
 時折、全体の揺らぎに人格と個性を見出す。
 そして互いに惹きつけ合う。
 遥か神代の時代から、人は永遠に半身を失っているのだ。
 だから求め合う。
 何を、ではなく、何かを。
 平凡な生活の中、あてどなく捜していた。
 何かを求める、自分自身を。
 失われた半身。
 それに対し、どんな価値を見出すかは、人それぞれだ。
 友人、恋人、家族、ペットだっていいだろう。満たしてくれるもの。それは、往々にしてそんなものだろう。
 けれど、それは自分が探しているものじゃない。
 赤い糸、そんなものは切ればいい。血の繋がり、そんなものは断てばいい。
 そんなものじゃない。
 自分が斬りたいのは、そんなものじゃない。本当の半身なのだ。
 人間は、生まれながらに欠けている。哲学的に、ではなく、事実として。
 そのことを知る者は世界に少ない。俺がそれを知ったのも、ひょんなことからだ。
 ナーバスなせいか、酒のせいか。それが仇となったようだ。
「またかよ……」
 呟きながら、フラスクの中身を一口含んだ。気が付けば、辺りの人波は絶えている。いつの間に誘導されたのか、気付きもしなかった。少しもったいないと思いながらも、含んだそれを霧状に吹き出しす。
 その見事な誘導に、俺は大道芸で応えることにした。手にしていたライターが火炎放射のように火柱を上げ、霧状のアルコールに引火する。
 今日はやけに大勢いやがる。炎が照らし出した一瞬、視界に映る影達に、一人ごちた。
 また例によって、あのメガネ野郎の手下に違いない。
 懲りない奴らだ。
 だが、害虫であることに変わりはないのだ。いつものように駆除する。ただそれだけだ。
「十六夜。ボスはご立腹だ。理由は……わかっているな」
「知らないね」
 笑って答える。どんな受け答えをしたところで展開は変わらない。理由なんて、本当に知らない。この害虫たちだって、知らされてはいないだろう。展開を変えたいわけではないが、どうして狙われるに至ったのか、その理由を教えてもらいたいものだ。
 まあ、知らないものは仕方が無い。だから、わざと笑ってみせる。詰め込めるだけの、哀れみと嘲笑を込めて。
 今日はアルコールが過ぎたようだ。ちょっと自分に酔っている。
 何の変化もない平凡な日常。
 トラブル・シューターなどという肩書きがあっても、実際は社会のゴミを掃除するだけの毎日。華やかなイメージとはほど遠い、底辺の生活。
 それでも、それを選び取るしかなかった自分への哀れみも込められているのかも知れない。
 つまり、俺はゴミ処理人に過ぎないと言う訳か。
 なるほど、確かに相手は生きているから生ゴミには違いないな。そんなことを思う。
「……それにしても、だ」
 フラスクをポケットに収め、皮製のグローブを馴染ませるよう手を開閉させる。幸い、調子は悪くない。今日の俺はハードボイルドだぜ。
「雑魚に気安く呼ばせるための名前じゃない。国語の時間に習わなかったか? 『十六夜さん』だろ」
 答えのかわりに銃弾が飛んできた。
 滅茶苦茶だ。問答無用で殺す気か。
 交渉の余地などありはしない。釈明する時間も与えられないのだから、それはもはや最初から話し合いをする気ではなかったのだろう。
 だが俺が睨んだ通り、体調は悪くなかった。
 感覚を総動員して、懸命に銃弾を避ける。
 町中だというのに全然容赦がない。どういう教育を受けているのだろうか。
 もっとも、俺には周りへの被害を考えていられるほどの余裕はない。
 こういう無茶をする奴らに一番いい方法は、アレだ。
 俺は上着の内ポケットから万年筆サイズの棒を取り出した。
 端の部分を親指で押し広げて、おもむろに放り投げる。
 棒は空中で爆ぜて、質量の全ては光に変わった。
 悲鳴が聞こえるが、死んではいない。ただの閃光弾だ。
 俺は物陰から一気に飛び出した。
 続けざまに手持ちの閃光弾をばら撒いて、脚力に任せて振りきる。
 三十六計、逃げるに如かず。
 昔の人はいいことを言う。ゴミ掃除は疲れるのだ。
 ハードボイルドな気分はセリフを言った時点で冷めた。
 相手をしてもよかったのだが、バカに付き合っていては命が幾つあっても足りない。
 奴ら全員を薙ぎ倒したところで金が貰えるわけでもない。命は一つ、それは俺も一緒だ。撃たれれば死ぬ。
 現に、服を彩る赤い染みは、腹部を貫通した銃弾によるものだ。酔いが醒めたのは、血と一緒にアルコールも流れ出たせいか。
 相手が、多少なりとも腕がよければ、こちらも避けやすいのだが、雑魚は適当に撃つから性質が悪い。あんなに沢山の射線が見切れるわけないだろうに。
 腹部の貫通銃創は痛みを発しなかった。千鳥足で走るのは難儀したが、こっちはアルコールの恩恵にあずかれたわけだ。傷が深いせいもあるだろうが。
 脇腹とはいえ、内臓は避けているようなので特に死に至るようなことはないだろう。ただ、体を曲げると引きつれたような感覚はある。
 こういう時のための用意はしてある。
 周りに誰もいないことを確認すると、胸に納まったスプレーをかける。
 程なくして組織が再生して傷が塞がった。
 便利なものだ。
「……エクスィード、か」
 俺はスプレーにかかれたロゴを見つめて呟く。
 ナノ・テクノロジー。
 俺のような、一般の人間にはその原理はよく判らない。10億分の1メートルという極小サイズのマイクロマシンが、俺の体を修復してくれている。マシンと言っても、体細胞を修復するこれは機械ではない。アミノ酸で出来ている。その程度の知識だ。他のヤツらと較べれば知識とさえ呼べない。
 今となっては無くてはならない技術だが、その細部を知っている人間というのは専門の技術者ぐらいだ。そんな事は知らなくても生きていける。
 便利なもの。そう思っていれば人間は幸せだ。少なくとも俺はそれで幸せを享受している。
 その開発元であるエクスィード……都市再生複合企業体。
 大災害からここまで復興したのはヤツらのおかげでもあるわけだが、やれ錬金術の復興だの、人類の再生だの、お高い理想と技術を振り回した結果が、これだ。
 怪しげな技術と理解不能な理念の氾濫。着実に広がり続ける企業の支配。
 それを可能とするだけの科学。
 けれども大災害の前がどんな世界だったか何の記録も残されていない以上、彼らの技術がどこから来たのかを知る術はない。
 生み出したか、盗み出したか。
 とはいえ、彼らを非難はできない。
 たったいま俺が生きているのはその技術の恩恵なのだから。
 まったく、笑える話だ。
 彼らは技術的に多くの人間を救ったが、その数パーセントを企業利益のために「回収」した。
 別にそれも大したことじゃない。ただ、それがヤツに関わる人間でなければ。
「人形使い」
 デッガーを生業とするものが、擬似人格プログラムを用い操る、機械人形がある。一般人は、そうした物を用いる連中を「人形使い」と総称するが、本当にその名を名乗れるのは、ヤツだけだ。デッガーがその名を僭称することは有り得ない。畏怖故に。
 マリィ・マギ・マクドゥーガル。
 それも多分、偽名なのだろう。この前会ったときは、妖艶な美女だった。本当のヤツに会った者など、この世に存在するのかどうか。
 とにかく、ヤツらは触れてはいけないヤツに触れてしまった。
 それだけならば他人事なのだが、俺の半身をも「回収」されたのだ。マリィの言葉が真実ならば、だが。
 生まれる前から2つに分かれた魂の欠片。
  俺の影。
 いや、俺が影なのか?
 もっとも、お互い面識はない。どっちが光か影か、確かめるのは当分先のことになるだろう。
 理由が何であれ、俺が狙われたと言うことは、俺の欠片を使って良からぬ事を企んでいる、というマリィの言葉の裏付けがとれた事を意味する。
 殺されたくないのなら、奴らを相手にして生き残るしかない。たぶん、妥協案は双方にとってあり得ないだろう。
 なんにせよ、巨大企業を相手に一人、では分が悪すぎる。
 そんなものは蛮勇とさえ呼べない。笑い話のネタにはなるが。
「地図なし、だな」
 俺はタバコに火をつけ、暗闇へと身を躍らせた。