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初めての冒険と俺ー4

 あれだけ渋っていた割には、レザンさんはリストを穴が開くほど吟味し、迷いに迷って一冊選んだ。別に出して欲しかったわけではないが、お茶も出なかった。しかし相手が俺のことをどう思っていようと、得をしたと思えばこの手の交渉は成功だ。
 魔術で浮遊……と言うより放り投げるようにして外へ出された俺は、廃墟のような屋敷を振り返ること無く帰路に就いた。
 レザンさんから借り受けた本は革袋にしっかりと収めてある。本は俺にとっていつも大事なものだが、今回のは俺が元の世界に帰れるかどうかが懸かっている。いわば命綱だ。慎重にもなるというものだ。
 本を誰かに奪われないか、また行き倒れるようなことや怪物に出くわすようなことはないか、と少々過剰に心配しながらの道のりだったが、食事が砕けた堅パンだったこと、野営の時に火がなかったので夜が凄く怖かったことを除けば、帰り道は思いのほか順調だった。
 順調すぎるぐらいだった。馬で片道二日という距離を、俺は同じぐらいの速度で踏破したことになる。自分がそんなに歩くのが速いほうだとは思わなかった。
 やがて、目の前に塔が見えてきた。たった数日離れていただけだったが、何だかひどく懐かしい気持ちだ。エマさんはちゃんと食事を取っているだろうか。
 背中の本の重さも忘れてしまいそうだ。扉をくぐり、塔をらせん状に取り囲む階段を上っていく。一息入れたい気分だったが、先に成果を報告するのが筋だ。
 研究室は相変わらず固く閉ざされている。ノッカーに手を伸ばすと、その前に扉が開いた。
「あ、ああ。帰ったのか」
「ただいま戻りました」
 タイミングが良すぎる。まさかとは思うが塔の上から俺の帰りを見ていたのだろうか。いや、そんなはずはないな。
「無事に戻ってこれて……いや待て。その恰好は何だ」
 怪訝な顔で俺を見るエマさん。
 視線の先を追う俺。
 下着姿の、俺。
「うわああ!」
 しまった! せめてズボンをはいてくればよかった! 下着でいることに慣れてしまい、そのままここに来てしまった。街道で通り過ぎた隊商が不審な目で見ていたのはそういうことだったのか。
「こ、これにはわけがありまして」
「中に入って話せ」
 エマさんの顔は険しいままだ。
 俺は勧められるままに研究室に入り、例によって本に腰かけて事の顛末を話した。その間、エマさんは口を一文字に結び、一言も発しなかった。
「――というわけで、所望していた本は借りてくることができました」
「わかった」エマさんはゆっくりと立ち上がり、怒気を含んだ声で言った。「殺そう」
「えっ!?」
 いまこの人、殺すとか言いましたよ?
「だ、だれをですか」
「あの老人だ。私の客人に手を出すとはいい度胸だ。私への挑戦とみなす」
「い、いや、やめましょうよ」そうでないとレザンさんにかましたハッタリが、本物になってしまう。「ちゃんと本を借りて来られたんですから、無しってことで」
「止めるなコウ。奴は十分生きた。私が引導を渡しても何の問題もない」
 何でエマさんがそんなに怒るのかわからなかったが、血の雨が降るような事態はごめんだ。この世界に『客人を粗略に扱うと仕返しする』みたいな法やルールがあったとしても、俺はそんなことは望まない。
「協力関係を構築するなら、仲良くしておきませんと」
 何であの爺さんの助命嘆願してるんだろう、と心の隅で思いつつ、間近に迫った紛争を何とか回避しようと説得する俺。
「いいか、コウ。この世界はなめられたらおしまいだ。あの老人が私に無礼を働いたなら、応報するのが理だ。罠が仕掛けられているというなら、私の魔導柱多重結界無限連鎖雷撃陣で屋敷ごと粉々にしてくれる」
 何だか恐ろしげな魔法の使用を堂々と宣言するエマさん。
 脇の下に冷や汗が流れる。いかん、彼女は殺る気満々だ。
「本を借りてきている以上、屋敷を吹っ飛ばすと盗むことが目的だと思われる可能性があるんじゃないですか? それはまずいと思うんですよ」
 エマさんはあからさまにため息をついた。
「キミは腹が立たないのか?」
「そりゃまぁ腹は立ちましたけど、こっちも十分脅かしましたしね。目的も達成できたから、特に根に持ったりはしてないですよ」
「あまりに人が好いと、心配になるな。だがキミが許したというのであれば、今回は大目に見よう。次は殺すがな」
 こっちの世界の「殺す」は腹が立った時に相手を威嚇する「殺す」ではなくて、本当に殺害するという意味だからおっかない。野蛮すぎる。
「人間、生きているうちは利用価値があるんですから、簡単に殺すのはよくないと思いますよ。それに、エマさんは相手に貸しが出来たんですから、立場的には有利に立ったとも言えます。取り立てはいつでも出来る。そう考えれば、今殺してしまうのはもったいないんじゃないですか?」
「ふむ……」エマさんは腕組みをしながらすこし思案した。「なるほど、そういう考え方もあるな」
 エマさんが思い止まったようなので俺は心底安心した。この人にうかつなことは言えない。
「今回はキミが無事に帰って来た事が成果だと思おうか。ついでだ、足を出したまえ」
「こうですか?」
 エマさんの前へ、投げ出すように足を向ける。
「それでいい。魔法を解いてやろう」
 そう言った後、ゆっくりと靴へ向けて手をかざす。薪から作られた靴は、役目を終えたかのようにゆっくりと朽ち、小さな木片となって床に散らばった。
「何だかもったいないですね」
「どちらにせよ、数日しか持たない魔法だ。後でちゃんとした物を作ってやる」
「道中は不自由しませんでしたよ」
「当たり前だ。疲労軽減、衝撃緩和、その他諸々の魔法を織り込んでおいたんだ。疲れはほとんど無かっただろう」
 ああ、そうか。
 俺は、本当にこの人に守られていたのだ。僅か数日の旅だが、俺は脳天気に快適な旅だと思い込んでいた。身が軽く感じたのは気のせいではなく、疲れがないのもよく眠れたからではなかったのだ。俺はつくづく馬鹿だ。エマさんに申し訳ないとさえ思った。
「ありがとうございました」深々と頭を下げて礼を言う。「エマさんにはいつも助けられてばかりですね」
「お前は私のために働いた。加護を授けるのは当然のことだ」
 上から目線で言うが、顔は照れている。しかし、エマさんの研究は俺のためでもあるのだから、俺が協力するのも当然のことだ。
 なんだか話がぐるぐる回っている気がしてきた。
「ともあれ、資料が手に入ったことは良かった。あの老人の専門分野は魔道具の作成だ。転移魔法のための魔力の受け皿に使える物があると思ってな」
「罠作りじゃないんですか」
「あれは副業みたいなものだろうな、おそらく。王都に卸しているという話を聞いたことがある。彼のたちが悪いところは、わざと盗賊を招き入れて実験に使っているところだ」
 あの時は死ぬかと思ったが、罠にかかると本当に死んでたのか。物騒な爺さんだ。でも、知っていればどうにか回避する手もあっただろう。
「それって出かける前に教えてくれても良かったんじゃないですか?」
「うん?」
 エマさんは首を傾げた。
「話したはずだが」
「聞いていません」
「いや、確かに話した。信じないというなら、あの……」
 刻見の鏡か。
「やめておきましょう。俺が忘れているだけかもしれませんし」
 泥沼の予感がしたので回避策。
「しかし、はっきりさせないことには……」
「まぁまぁ。結果として何もなかったわけですし、どうでもいいことじゃないですか」
「最初に言ったのはキミだぞ」
 確かにその通りなのだが、言った言わないは大体面倒なことになるだけである。
「そういえば」俺は強引に話を変えることにした。「道中で変な夢を見ましたよ」
「ほう?」
「神様が出てくる夢でした。イセニスとか言う神様が、俺を助けるとか何とか」
 エマさんは急に真顔になった。
「まて。コウ、その名をどこで知った」
「自分で名乗ってました」
「どんな姿だった? そして何を言っていたんだ」
「姿はガリガリに痩せた子供みたいで、俺に……」
 そこまで口にしてから、俺は言い淀んだ。思い出そうとするが、何も浮かばない。忘れてしまった夢のように、そこから先は霧にでも包まれたかのように、記憶から抜け落ちていた。
「すいません、忘れてしまいました。ただ、『助ける」とは言っていました」
「そうか……」エマさんは足を組み直した。「キミがあらかじめその名を知っているとは思えない。それはつまり、本当に神と会ったのだろう」
「夢じゃなくて?」
「いや、夢だ。神は、夢に立つ。キミが会ったのは、紛れもなく『運命の神』イセニス様だろう」
 エマさんの言葉を聞いて、俺は少しほっとした気持ちになった。あれはやはり夢じゃなかった。強烈な体験だったはずなのに、俺の記憶には断片しか残っていない。もっと頑張って覚えておけば良かった。
 そんなことを思いながら、俺はエマさんの語りに耳を傾けていた。考えてみれば、俺はこの世界の基本的なことについての知識を持っていない。成り立ち、文化、どのような人が住み、何を生業としているか。いままで、俺にとっては世界の全てはこの塔だけだった。
「この世界の呼び名『クレアール』とは、古代語で『神の微睡み』という意味だ。大いなる神々は世界を創造されたのち、永い眠りについた。故に、我らが神と会えるのは夢においてのみ。神は誠に信仰篤き者の夢に降り立ち、啓示を授ける」
「神々、と言うことは他にもいるんですか?」
「うむ。光輝神メア、戦神アスリク、大地神エコール、風神カーフ、それと君が会ったという水神イセニス。五人の神はそれぞれの力で世界に恩恵を授け、見守っておられる。キミの場合は――おそらく招かれたのだろう。『ヴァラー』……そうではないかと考えてはいたが裏付けがとれた」
「選ばれし者、みたいな感じですか?」
「そうであるかどうかは、誰にもわからん。ある者はこの世界に破滅をもたらし、ある者は輝ける先駆者となって平和を打ち立てた。『ヴァラー』についてわかっているのは、神の力によって何かの意図を持って喚ばれた存在と言うことだ」
「じゃあ、俺にもなんか凄い力が宿ったりしてるってことですか?」
 俺はちょっとわくわくしながら聞いた。レザン邸では何の力も発現しなかったが、もし特殊な力が与えられているとしたら、それはとても楽しみなことだ。
 期待とは裏腹に、エマさんから帰ってきたのは否定の言葉だった。
「神々の恩恵はそう軽々しく与えられるものではない。キミは信仰さえしていないんだから、なおさら無理だ。たまたま謁見できただけ、と思うべきだろうな」
「なんだ……」
 がっかりだ。男子たるもの、一度は圧倒的な力を持つ英雄になってみたいと思うものじゃないだろうか。世界を征服するような力は図書館司書にはいらないが、超常の力は時々欲しくなる。本を返さない奴から強制的に回収する魔法とか、カウンターに向かって『暇そうな仕事でうらやましい』とか言うおっさんを海に放り込む魔法とか。
「分不相応な力は身を滅ぼすだけだぞ。大きすぎる力には相応の犠牲も伴う。古今東西、多くの愚か者がそうした力を求め、破滅していったのだ。キミはそうなるべきではない」
 エマさんはいつになく厳しい言い方をしたので、俺はちょっと反省した。
「肝に銘じておきます」
「初歩の魔法なら手の空いたときに教えてやる。それで満足したまえ」
「えっ? 魔法教えてくれるんですか?」
「キミに術をかける以上、魔法について理解しておくことは大事だ。キミだって、得体の知れない術で飛ばされるのは不安だろう?」
「それは、まあ……たしかに」
「こちらとしても術者相手に魔法を使う方がやりやすい。お互いにとって意味のあることだ」
「お手柔らかにお願いします」
「うむ」エマさんは鷹揚に頷いてから言った。「で、今日の夕食はどうする」
 結局それかよ。
「むっ……なんだその目は」
 俺の生暖かい視線を受けてエマさんはたじろいだ。
「はいはい。献立は材料を見てから決めますよ」
 帰ったばかりでいきなりこき使おうとするあたり、なかなか良い性格だ。
「わ、私はだな! 帰って疲れているかもしれないキミを気遣って……」
「夕食はエマさんがつくってくれるんですか?」
「……そういうわけではなくてだな……その、簡単なものでもいいぞと……」
「本当に簡単なものでいいんですか? 堅パンに塩スープとかになりますけど」
 素直に美味しいもの食いたいって言えばいいのに。
 意地悪く言葉を返すと、エマさんは拗ねた。
「また馬鹿にしたような態度をとりおって。キミは年上に対する敬意というものが足らん」
「失礼いたしました、お師匠様。留守のお詫びに、今宵は腕によりをかけて食事を用意させていただく所存」
 エマさんの表情がぱぁっと明るくなる。が、次の瞬間にはもったいぶったいつもの態度にもどった。
「うむ。よきにはからえ」
 俺は一礼して研究室から出た。
 裸足で階段を下っていくと足裏がひんやりして気持ちいい。
 食事は元々しっかりしたものを作るつもりだった。ここ数日は自分もまともなものを食べていない。食は生活の基本だ。
 一人暮らしの時は誰にも手料理を振る舞う機会が無かったが、今はこうして心待ちにしてくれる人がいる。エマさんの労苦に報いることが出来るのはこんな事ぐらいだが、それでも喜んで食べてくれるのは嬉しいことだ。ここに居る間は、それが俺の仕事だ。
 ここに居る間。
 その意味をふと考えてしまう。
 俺はいずれこの世界から去る。去らねばならない。エマさんもそのために助力してくれている。
 それは甚だしい思い上がりと知りつつ、思った。
 俺が居なくなったらエマさんはどうするのだろうか。

 貯蔵庫には新しい品が蓄えられていた。また村の人が持ってきてくれたのだろう。見知らぬ肉に見知らぬ野菜、見知らぬ香辛料っぽい物が無造作に置かれている。見知らぬを連呼するしかないくらい、未知の食材ばかりだ。唯一、荒く挽いた小麦粉だけが理解できるものだった。
 食材を前に思考を回転させる。
 肉は適度に脂がのっており、焼くと美味そうだ。香辛料は乾燥させた葉のようなものと何かの種子と思われるもの。それぞれ囓ってみたが、乾燥させた葉は刺激のある香りがするので、適量を使えば肉にあいそうだ。種子の方は甘い香りで、バニラに少し近い。これも使えるな。
 肉を香草焼きにして、挽いた麦はどうにかしてパンに出来ないかやってみよう。後は野菜だ。根菜のように見えるので、とりあえず茹でてみることにする。この手のものは、生で駄目なら煮るか蒸せばいける。
 思いつきで料理しているが、機会があれば店で材料を仕入れて献立を組みたいところだ。
 俺はいつものように食材を抱えて食料庫から出た。
 その時、片隅で物音がする。
 エマさんが降りてきたのか?
 俺は扉から首だけ出して外を見た。食料庫の前にいたのは、灰色がかった亜麻色の髪をした、筋骨逞しい女丈夫だった。
 あれ? この人、どこかで見た記憶がある。
「お前、ここで何をしている」
 誰何の声は低く、敵意に満ちていた。
 彼女が誰だったか、思い出せそうで思い出せない。しかも、何か誤解を受けていそうだ。
「どちら様ですか?」
「あたしが質問してるんだ。答えろ」
 と、にべもない。
「何って、食材を取りに来たんですが……」
「出てこい」
 女性は剣呑な雰囲気を漂わせながら、俺を睨めつけている。
 聞きたいのはこちらもなのだが、逆らうのはまずそうだ。俺はおそるおそる外に出た。
「誰かと思えば街道にいた奴だな。ここに魔薬はないぞ」
 その言葉で俺は彼女が何者か思い出した。レザン邸に行く途中で水をくれた人だ。
「あの時助けてくれた人! おかげさまで無事帰ってこれました」
「調子狂う奴だな」困ったような顔で俺を見る。「エマの家に忍び込むとは――あの時殺しとくべきだった」
「なにか、勘違いされてませんか」
「薬欲しさにエマの家に忍び込んだ上、食い物まで盗むのは許せん」
 許すも何も俺はエマさんの許しでここに居るわけだが、お互いの認識に甚だしい齟齬があるのは明白だった。ここ最近、日常と命の危険がセットなのが多すぎる。
 銀髪の戦士は明らかに攻撃を加える姿勢を見せていた。
 こまった。一目でわかるが、どう見ても相手の方が強い。しかも武器がない。あっても太刀打ちできないのは分かっているが、気持ちの面で違う。
 野菜は葉物で武器にならない。肉塊は武器というよりこれから俺がその仲間になるといった感じだ。
 一触即発の状況。
 こういったとき、弱者である俺が取る手は一つ――三十六計だ。
 俺は手に持った食材を女戦士に投げつけた。
「うわっ!」
 相手がひるんだ隙に、その脇を抜けて駆け出す。
 この状況ではたいした時間は稼げない。外に逃げるか、上に逃げるか。
 しかし今の俺は裸足で、外に行くは選択肢として悪手だ。ならば上に行き、エマさんに助力を頼むのが正しい。彼女を知っていると言うことはおそらく関係者だ。
「まちやがれッ!」
 背後で声が聞こえる。俺は必死で階段を駆け上るが、相手の方が圧倒的に早い。
 振り向くまでもなく、すぐ後ろに迫っているのがわかる。
 俺は壁のランプを払い落とした。
 ガラスの割れる音がして、少しだけ足音が遠のく。
 だが、俺の太ももの筋肉も限界に近づいていた。足を上げようとしても、鉛でもくくりつけたかのように重い。
 距離はすぐに縮まった。恐怖に耐えきれなくなって俺は少しだけ振り向く。
 鬼のような形相と言う表現があるが、背後の戦士はまさにそんな顔をしていた。
 エマさんの研究室まで後一歩。
 ノッカーに手を伸ばした俺を、ついに女戦士がとらえた。
「うわあっ!」
 首を捕まれた上に足を払われ、俺は地面に押し倒された。顔を床に押しつけられ、鼻が痛い。頸動脈には指が食い込み、万力のように締め上げてくる。
「あたしがいたのが運の尽きだったな。このまま首をへし折ってやる」
「ご、ごか……い…です……」
「気を引こうとしても無駄だ。死ね」
 冷たい刃のように、女戦士の言葉が降ってくる。
「何を騒いでいる」
 扉が開いた。
 あのおみ足は……エマさん!
「賊をとらえたぜ」
 得意げな声。その間にも俺にかかる力は緩まない。
「その手を離せ」
 エマさんは地の底から聞こえるような恐ろしい声で言った。
 そして電流が『二人に』流れた。