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初めての冒険と俺-3

 勢い余って転倒した俺の背後で何かが風を切る。
 ちらりと横目に見えたのは三日月状の刃がついた巨大な振り子。
 あ、危なかった……! あそこで転ばなかったら俺の体は真っ二つだった。侵入者をぶった切る物騒な防犯装置という訳か。ともかく、運を拾ったようだ。
 安堵した俺はゆっくり立ち上がった。この屋敷はおかしい。こんな罠だらけの屋敷がまともであるはずがない。用心しなければ。
 辺りを見回し、慎重に進む。だだっ広い玄関ホールは、不穏な静寂に満ちていた。どこからどんな罠が飛び出してくるかわかったものではない。
 しかし、扉のすぐ向こうにいるはずのガーゴイルは屋敷内に入ってこなかった。
 ひょっとすると、ガーゴイルの目的は俺を殺すことではなく、この屋敷内に追い込むことだったのではないだろうか……と、足下に刺さった矢を見て思う。
 どこから飛んできたんだ、これ。
 というか、なんで俺は殺されそうになっているんだ。
 もうこんな屋敷にいられるか! 俺は帰らせてもらう!
 俺は百八十度ターンして扉に戻った。
 そして何かのスイッチを踏んだ。
 さっき転んでやり過ごした巨大ギロチンが、再び壁から現れて弧を描きながら迫ってくる。そうだった。さっきはこれで殺されそうになったのだ。俺は阿呆か。
「ひえあっ!」
 慌てて後ろに飛び退き、腰から倒れ込みながら振り子の罠をかわした。その瞬間、また別のスイッチを踏む。天井から閃光が輝き、電撃の罠が俺を襲う――ところだったが、雷光は巨大ギロチンの方に落ちた。雷は近くの伝導体に落ちるのだ。異世界でもその法則は変わらないようだった。雷の精霊が操作しているので俺だけを狙ってくるとか、そういうので無くて本当に良かった。
 安堵したのもつかの間、尻餅を着いた手の先で押したスイッチで落とし穴が開く。
 支えを失って俺の体は傾き、落とし穴に落ちかける。
「うおおっ!?」
 残った右手で穴の縁を掴み、頑張って何とか踏ん張る。が、体勢が悪い。だんだんと俺の体は穴へと近づいていく。
 このまま支えるのは無理だ。俺は一か八かに賭け、思い切って足で落とし穴の壁面を蹴った。
 木靴が僅かに滑る。だがそれでもしっかりと床に力を伝えて、十分な反作用を生む。
 火事場の馬鹿力という奴だろうか。
 俺の体は落とし穴をかろうじて飛び越え、背中から落ちるように着地した。俺の居るところにはスイッチはないらしく、何事も起こらなかった。
 背中の堅パンはさっきので割れただろうなぁ、ということをふと思い出し、憂鬱になる。
 俺はゆっくりと身を起こして立ち上がった。それから、ずり落ち掛けていた下着の位置をただす。男のポテンシャルは、下着の位置で決まるのだ。このふんどしみたいな奴はつくづく俺に合わない。パンツを履いてくればもう少しましだったはずだ。
 エマさんに頼んで、魔法でパンツを作ってもらえないだろうか。
 ……いや、たぶん口に出した瞬間に殺される。
 それに昔話にも魔法のパンツがあった記憶は無い。いや、虎のパンツがあったな。どうでもいいか。
 さて。俺は玄関ホールを見回した。
 いま居る場所は玄関ホール中程の位置で、正面には奥へと続く通路が、両脇には二階へと続くバルコニーへの階段がある。
 進むか、戻るか。二階に行くか、一階を探索するか。
 大理石のタイルが敷き詰められた床は、どれがスイッチなのか全くわからない。さっきの落とし穴の位置も、閉じてしまった今はどこだったかも定かではない。
 どこへ向かうべきか。
 出来ることなら帰りたいが、引き返しても無事である保証はない。もちろん進む方も危険だ。
 だからといって、ここで一日過ごすわけにも行かないだろう。玄関に居座られたら、普通の人間は戸惑う。
 俺はこの屋敷が無人ではないと考えていた。徹底的なまでに侵入者を拒む造りをしているのは、誰かがここに住んでいるからだ。
 それならば、やることは一つだった。
 礼儀正しく呼ぶ。
「レザンさーん! 私は魔術師エマの使いでーす! いらっしゃいませんかー!」
 反応なし。呼び方がまずかっただろうか。
 俺は少し考え、呼び方を変えることにした。
 大きく息を吸い、一気に叫ぶ。
「世に並ぶ者なき偉大なる魔法使いにして稀代の建築家しかも気前が良くて美形でモテモテ飛ぶ鳥は焼き鳥に馬はよそ見で足をくじき姿を見せればご婦人方の寝枕に現れ都では密かに肖像画が高値で取引されていると噂の超絶大魔術師レザン殿はいらっしゃいませんかー!」
 これぐらい褒めておけば、気分を害しないはずだ。
 しかし屋敷は静まりかえっている。
 まさか。本当に留守だったらどうしよう。せっかく褒め言葉を盛ったのに。
 帰るしかないのか。でも勝手にここにとどまってたら不法侵入者だし。
 こまったぞ。罠を解除してもらえないと、動くに動けない。
 しばらく迷っていると、二階からドアの軋む音がした。
「会ったことのない相手を前に、よくそこまで平然とお世辞が言えるものよな」
 二階のバルコニーから老人が顔を出す。
「レザンさんですか? 俺はコウ、魔術師エマの使いです」
 俺は名前だけ名乗った。名字は教えるな、という忠告をエマさんから受けていたからだ。
「それで? 本当なのか?」
「はい。紹介状も持ってきています」
「そうではない」魔術師は少しいらいらした様子で言った「儂の肖像画が高値で取引されているといったであろう」
 あの出任せを信じたのかよ。ちょろいな。
「私は都に行ったことがないので、人づてですが。なんでも比類無き魔道具の作り手として著名だとか。お会い出来て光栄です」
 やんわりとぼやかしつつ、俺は持ち上げておいた。魔法使いが権威を大事にするなら褒めておくに限る。
「うむ、そうか」
 魔術師は満足げにうなずき、俺のデマをあっさり信じた。
 俺は革袋をあさり、中からエマさんの紹介状を取りだして掲げてみせる。
「来訪のわけは、この書状に」
 これでようやく本題に入れる。安心した俺は一歩踏み出した。
 カチリ。
 足下でスイッチが音を立てる。
 開いた天井からネットが覆い被さり、俺は宙に吊り下げられた。ついでに左右の壁から槍が飛び出し、頭上をかすめる。
 あ、危ねぇ……!
「うむ。儂の罠に引っかかって死ななかったのはおまえが初めてだぞ、若造」
 老魔術師は驚いたように言った。
 こいつを殴っちゃ駄目かな、と俺は強く思った。

 罠を解除され、俺はようやく安全な身で屋敷内に降り立つことが出来た。
 魔術師レザンさんの屋敷は総数五千あまりの罠によって守られており、自分でも何を仕掛けたのか忘れているため、うかつに屋敷から出られないと言うことだった。
「普段の生活はどうしてるんです?」
 と聞いた答えが
「そんなもの、もちろん空から出入りしているに決まっておる」
 だそうだ。
 実際、俺も魔法で持ち上げられて二階に来ていた。
「で、おまえはエマの奴の弟子か」
「え?」
「その格好、エマの技を学んでいるのであろう?」
 老魔術師の視線は俺の剥き出しの下半身に向けられていた。
 エマさんのあの格好は、魔法の流派に関わるものだと言っていた。つまり、レザンさんは下着姿の俺を見て、エマさんと同じ技を学んでいると思ったのだ。
 これは好都合だった。
 灰になったズボンには意味があったのだ。短いつきあいだったが、お前のことは忘れないぞ、ズボン。
「ええ、お師匠様が修行がてらに行ってこいと」
 俺はこの場を弟子で通すことにした。災い転じて福となす。泣きっ面にパンツ。下着丸出しなのは非常に気まずいが、時にはハッタリも必要だ。
「ふむ」レザンさんは皺だらけの顎を撫でながら言った。「来訪のわけはわかった。が、儂の蔵書を貸せ、というのはな」
「できませんか」
「それをエマの奴に提供したとて、儂に何の得がある? 子細はお前に聞けとあるが、そもそもなぜ弟子を送ってきたかも不可解だ」
「私のことを疑っている、と?」
「そうよ。魔術師がどんなものかはお前も知っていよう――本当の目的は何だ」
 レザンさんが杖を向ける。
 彼の魔法は何か物に宿すタイプと聞いている。それを向けているということは、返答次第では俺の命を奪うことも辞さないということだろう。
「私の目的は、師匠に言われたとおり、本を借りてくることですよ」
 俺は極力平静を装った。こういうときは、毅然と対応するのが一番良い。図書館のカウンターには変な奴だって来るのだ。落ち着け、コウ。いつも通りの対応に命がかかってるだけだ。
 いかん。間違うと殺されちゃう。
「もちろん、交換条件は用意してあります」
 俺は相手の目を見据えた。
「荷物を出してもいいですか? もう一通書状があるので」
「ゆっくりと出せ」
 俺はうなずき、革袋に手を入れた。砕けた堅パンが指先にあたり、少し気分が落ち込む。やっぱり割れてた。いや、そうじゃない。そんなことはどうでもいい。
 もう一つの羊皮紙を取り出し、ゆっくりとレザンさんの方へ向ける。
 一緒にパンの欠片がパラパラとこぼれ落ちたが、特にそれについては突っ込まれなかった。
「これはお師匠様から預かってきた蔵書のリストです」
「それがなんだというのだ」
「私はあなたからお師匠様が探している本を借りる。そして、あなたはこのリストから、必要な本を選んでお師匠様から借りる。そういう提案です」
「なに?」
 レザンさんは怪訝な顔をした。この種の提案は受けたことがないのだろう。
「つまり研究に必要な資料を交換し合うのはどうか、ということですよ。うちのお師匠様も少しは名の通った魔術師。あなたの所にはない本も、もちろん持っている。互いに協力し合えるってことです」
 相手が興味をそそられているのがわかる。元々秘密主義で保守的な立場を取ることが多いらしい魔術師同士では、本の貸し借りをするのは稀だ、という俺の読みは当たっていた。
 図書館には他館と蔵書を貸し借りする相互貸借の制度があるが、それが成り立つのは『図書館の本は公共の物である』という概念があるからだ。だが、研究内容を秘匿する魔術師間でそうしたやりとりが発生しているとは思えない。
 研究をより効率的に進めたいなら、むしろ相互に研究資料のやりとりをすることは必須のはずだが、個人主義、秘密主義が横行しすぎて、そうした仕組みがないのだ。
「お受けいただければ、次の来訪時には五倍の量のリストをお持ちします」
 そんな予定はないが、俺は少し話を盛った。
「しかし、お前が本の持ち逃げをしないとどうしてわかる? 手の込んだ詐欺ということもあろう」
「いいんですか?」俺はにやりと笑った。「お師匠様に、罠にかかって死にかけたことを話しちゃいますよ」
「なんだと?」
「あなたは魔術師エマの使いを罠にかけ、危険にさらした。しかも友好的に接してきた相手を粗雑に扱い、手ぶらで帰した。これはお師匠様のメンツをつぶしたって事になりますよね」
「儂を脅迫するつもりか」
「滅相もない」俺はさも心外だ、と言うように大げさに驚いて見せた。「全部事実ですからね。手ぶらで帰ったなら、私は起こったことを全て正直に話すしかありませんし。そうでないと殺されます」
「ふん。お前を殺し、ここには来なかった、ということにも出来るぞ」
 想定された答えだ。俺は自分のペースを取り戻していた。
 会話の主導権はこちらにある。被害者を前にしたら、相手は開き直るしか打つ手がない。だが知性の高い相手は、殺害という短絡的でリスクの高い解決手段はとらない。
 レザンさんからこの言葉を引き出した時点で、勝利は決まっていた。
「そうなったら、お師匠様は原因を調べようとなさるでしょうね。そして真相にたどり着くのに時間はかからないでしょう。ここに来るまでに、いくつも手がかりを残してきていますしね」
 自分の顔を見ることは出来ないが、今の俺は凄いドヤ顔してるんだろうなぁ。
「この屋敷の仕掛けは自衛のための罠ということですが……物盗りでもない私が死んだ場合、『楽しみのために殺していた』といわれても仕方がないですよね。それが外に漏れればあなたの評判はがた落ち。しかもエマさんが可愛い弟子の末路を知ったら、それはそれはまずいことになると思いますよ」
 俺は老魔術師の顔をのぞき込んだ。相手が逡巡しているのがわかる。
 最後にもう一押し。
「ご存じかもしれませんが……エマさんは怒らせると怖いですよ~」
 その台詞で、レザンさんは杖を下ろした。
「わかったわかった。お前の提案に乗ってやろうではないか」
 呆れ顔で言った後、レザンさんは眼光鋭く付け加えることも忘れなかった。
「約束を違えたときには、相応の報いを受けてもらうぞ」
「その時は好きなようになさって結構です。この仕事は信用が第一なので」