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塔の魔女と俺-5

 昼食のあとで塔の掃除と片付けを終えた頃、小さな鈴の音が響いた。エマさんの研究室と食堂、それに応接間にある大きな砂時計は、それぞれ連動して時間を刻む魔法が掛けられている。朝、昼、日没前と、その間の時間の計五回、鈴が鳴るのだ。
 この鈴はお茶の時間と決めている。俺はキッチンで湯を沸かしてお茶を入れた。グレイン草という薬草を刻んで乾燥させたものから抽出した、いわばハーブティーだ。ペパーミントのような爽やかさと、何かのベリーのような酸味を併せ持った味がするので、気分がリフレッシュする。
 俺は素焼きのカップにそれを注いで、エマさんの所へ。ノックしても返事がないので、一応断った上で研究室に入った。
 エマさんは机の上の魔術書とおぼしき分厚い本を熱心に読んでおり、俺が入ってきたことにも気づかない様子だった。俺には文字がわからないのでどんな内容かはわからないが、相当真剣な様子だ。
「エマさん、お茶です」
「ん? ああ、ありがとう」
 生返事をして、エマさんは振り返りもしない。
「なにか、調べ物ですか」
 職業上の癖でつい聞いてしまう。
「魔力制御のための呪物について、ちょっとな」
「書庫にあるものなら手伝いますよ」
「私の記憶している限りでは、その手の本はないはずだ。分野が違う」
 なるほど。俺の出る幕ではなさそうだった。
「こういった事はレザン殿が詳しいはずだが……」
 エマさんは誰に言うともなく呟く。
「お友達ですか?」
 俺は好奇心に駆られて尋ねた。エマさんの口から、他人の名前が出るのは初めてだ。
 エマさんは俺の問いに苦笑いで返した。
「魔術師は滅多なことでは友人は作らんのだ。研究を盗まれたら困るからな」
「そういうものですか」
「そういうものだ。魔術師にとって、自分の研究内容は絶対の秘密だ。諮問会で認められるまでは、誰にも知られるわけにはいかん」
「それは、魔法の研究が危険だからですか?」
「半分は、そうだ。もう半分は、魔法を扱う者にとって、研究の成果こそが地位と名誉を高める唯一無二の方法だからだ」
 エマさんは本を読む手を止めて俺の方に向き直った。
「魔術師は、ヴァサードという大きな組織に所属している。この世の真理を解き明かすことを目的とし、生涯を探求と研究に費やす学徒の集まりだ。無論、私も例外ではないぞ」
 エマさんはお茶を一口飲み、それから満足そうにもう一口すすってから話を続けた。
「魔法には様々な流派がある。私は魔法の源を自分の身に集めてそれを利用するが、ある者はそれを道具に込めて扱うし、薬品として使う者もいる。中には自分の体に様々な石を埋め込んで力を高める流派もあると聞く。だが、そのどれも本質的な部分については、外部にほとんど知られることはない。それぞれが派閥を持ち、その中で技術を向上させていく。唯一の例外が、ヴァサードの諮問会だ。そこでは各派の威信を賭け、研究の成果を披露する。認められれば、相応の地位が与えられることになる」
「認められなかったら?」
「階級を落とされる者も居れば、そこにとどまる者も居る。様々だ」
「けっこう厳しいんですね……」
「自分の派閥の地位を上げるために、躍起になっている面があることは否めないが、我々の研究資金は少なからず国の助成を受けている。成果がなければ、打ち切られるのは当然だ」
「エマさんも?」
「当たり前だ。私が小さいながらも領地を持っているのは、国に研究が認められたからだ」
 そう言って胸を張る。見れば見るほどでかい。いや違う、そうじゃない。
「どんな研究なんですか?」
 たぶん聞いてほしいんだろうな、と思い、俺は調子を合わせる。
「石材の精密な切り出しに必要な検査方法だ。今までは割れやすい面の測定は職人が勘でやっていたが、それを簡単な魔法でできるようにした。平らで大きな石材があれば、堅牢な城壁も作れる――そこを評価された。もっとも、私の目的は落盤事故をなくすことだったんだが」
 エマさんの研究というのは、いわゆる石の目を判別する方法と言うことらしい。実用性があり、人にも国にも役に立つこととなれば、確かに功績として認められやすいだろう。
「今もその研究を?」
「いいや。まぁ、今やっている研究の中身をキミに教えるわけにはいかんが、キミを元の世界に帰す研究もちゃんと進めている。安心したまえ」
 エマさんを疑っているわけではないが、その言葉を聞いて少し安心する。
「話がそれたが、階位が上の者ほど保守的だ。中には自分の居場所さえ秘匿する魔術師もいるぐらいだ。魔術師に何を研究しているか聞くのは余計なトラブルを招きかねん、と言うことだな」
「じゃあ、そのレザンって人に聞いても無理かもしれないってことですか」
「魔術師の中では人当たりは良い方だが、相談に乗ってくれるかどうかはわからん……かなりの高齢でもあることだし、用心深くもある」
「資料を借りるだけ、というのも駄目なんですか?」
「彼ほどの研究者であれば、持っていないということは考えられないが、難しいな」
「うーん」
 俺はうなった。図書館同士では本を融通し合う仕組みが存在するが、秘密主義の魔術師間ではそういうことをしたりはしないようだ。
「研究についてはいずれ公表するだろうが、『何の本を持っているか』などという情報は必要とは言えないからな。私でさえ自分の蔵書をすべて把握しているわけではない」
「凄い数ありますもんね……」
「死んだ魔術師の蔵書をもらうこともあるし、衝動買いしてろくに読んでないものもある。だからキミに整理を頼んでいるんだろう」
 エマさんの蔵書は塔の一フロアを占拠するほどあり、羊皮紙の巻物も含めれば目算で一万冊はある。そのうち俺が手をつけられたのはほんの僅か。本格的に目録を作るとなったら年単位の時間が必要だ。
「研究を知られてしまうのは、魔術師にとって死活問題だからな。中には人をけしかけて盗んでいこうとする者だっている――相手が用心深く接してきても、非難はできないというわけだ」
 研究や論文の盗用問題は俺の世界でもよくあることだったが、人間というやつはどこの世界でも大体同じようなことをやるようだ。歴史も文化も違う世界で、同じ問題を抱えているのはなんだか不思議な気分だった。
「借りるにしても、何か手土産が必要だろうが……さて、どうしたものかな」
「好物を持って行くとかどうです。俺の世界では『菓子折』っていう甘い物を詰め合わせた箱を持って行くと、交渉が円滑にいくんですよ」
「それは確かに喜ぶかもしれないが、ちょっと安直すぎやしないか。こちらにもレザン殿が欲しがる物があれば良いんだが」
「その人が探してる本をエマさんが持っている、ということはないんですか」
「わからん」
 俺は一計を案じた。
「もし良ければ、蔵書の中でそんなに重要でないものをいくつか選んでくれませんか?」
「別にかまわないが……何を考えている?」
 エマさんは怪訝な顔で俺に聞き返した。
「俺にできることをですよ」俺は笑みを返し、それから付け加えた。「すいません。俺、こっちの字が書けないんで、それをリストにしてくれると助かります」

 エマさんはそれからすぐに書庫に入り、リストを作ってくれた。
「私の研究に関係が無い、捨ててしまってもいいような本ばかり選んだが、本当にこんなものでいいのか?」
 疑わしげなエマさんから、俺は羊皮紙の巻物を受け取った。
 羊皮紙は蝋でしっかり封がされていて、本でしか読んだことがなかった俺は、本物に触れて少し感動した。
「はい。後は俺が何とかします」
「ちょっと待て。キミはレザン殿の所に行く気か?」
「そうです。こういう交渉はやったことがあるんで」
 正確には電話でやったことがあるだけだが、同じ人間相手だ。何とかなる。どこかの女魔術師のように、いきなり電撃を飛ばしてきたりはすまい。
「レザン殿の所に行くとして、道はわかっているのか?」
「……わかりません」
 自信満々で答えておきながら、俺は自分の無計画さに口ごもるしかなかった。
「まったく……キミという奴は、計画的なのか無鉄砲なのかよくわからないな」
 たぶん後者です。
「しかし、キミはこの世界に慣れていない。私は反対だ」
「自分の世界に帰るんです。俺も少しはエマさんの役に立たないと」
「危険かもしれない、といってもか?」
「怪物退治にいくわけではないですし、道中だって危険『かもしれない』の話なんですから大丈夫ですよ」
「はぁ……」エマさんは露骨にため息をついた。「キミは頑固者だと言われるだろう」
 何で知ってるんだ。
「覚えがないですね」
 俺はとぼけた。
「己を曲げぬ者は、時にたやすく命をなくす」
 エマさんは少し遠い目をして言った。それは俺に向けての言葉というよりは、誰かに言われたことを思い出すかのようだ。
「だが、生き方を曲げるということもまた、命をなくす事に等しい。キミの選択は尊重しよう」
 エマさんは机上のレターチェストから小さく折りたたんだ紙片を取り出し、俺に差し出した。それは羊皮紙ではなく薄茶色の普通の紙でできていた。
「レザン殿の屋敷までは馬で二日くらいの距離だ。塔からの街道沿いにある屋敷だから、その地図を見ながら行けば迷わないだろう」
「馬?」
 俺は思わず聞き返した。クレアールの世界には馬がいるのか。
「馬だ。乗れるだろう?」
「乗れません」
 俺は即答した。原付なら乗れるが、馬に乗るのはさすがに同じ感覚というわけにはいかない。
「馬で二日でしょう? それぐらいの距離、歩きますよ」馬がどれくらいの速さで走るのかはよく知らないが、常時全力で走るわけではない。一日の移動距離はそんなに変わらない……と思う。
「それぐらい、とは言うがな……まあいい。やってみればいいさ」
 あきらめにも似た口調でエマさんが返す。それから思い出したように付け加えた。
「そのサンダルは足になじんでいるか?」
 俺は足下に視線を落とした。俺の履いているサンダルはエマさんの予備で、正直に言えばサイズがあっていない。元の世界で履いていた靴は、落下した時に片方を落としてしまっていた。
「ちょっと小さいです」
 ついいつもの癖で「大丈夫だ」と言いそうになったが、俺は正直に答えた。平気なふりをすると、エマさんはきっと怒る。
「そうか。合わないサンダルで長い距離を歩くのは疲れるからな。あとで靴を作ってやろう」
 靴ってそんな簡単に作れるものなんだろうか。
「ありがとうございます」
 俺は素直に礼を言っておいた。
「今日中に支度をして、明日の朝に出掛ければ良かろう。それまでに紹介状を書いておく」
 エマさんは素っ気なく言った。
「私は研究に戻る」
 そして、再び本を手に取った。
 俺も静かに扉を閉めて自分の仕事に戻った。

 俺は思いつく限りの準備をして朝を迎えた。
 主にやったのはエマさんの食事で、残りの肉を塩焼きにして切り分け、貯蔵庫に戻した。野菜類はスープにして、それも小分けにして貯蔵庫に置く。固いパンの在庫は十分にある。エマさんが食べるものに困ることはないだろう。
 俺の方はと言えば、固いパンを革袋の底に詰め、着替えを少し入れただけにしておいた。背中に触れる部分には毛布を一枚拝借して当ててある。
 天気は快晴で、旅立ちには良い日だ。
「準備はできているようだな」
 衣類をあらためている俺の所にエマさんがやってきた。驚くべきことに、エマさんは俺が起こすよりも前に目を覚ましていた。まあ、昨日あんなことがあれば当然という気もする。
「昨日言ったとおり、靴を作ってやる。ついて来い」
 エマさんに言われるまま、彼女のあとをついていく。行き着いた先はかまどだった。
「材料はそうだな……これでいいだろう」エマさんは薪を引き抜くと俺に投げた。「下において、その上に乗れ」
「こうですか?」
 俺はサンダルを脱いで、薪に両足を乗せる。
 エマさんは身をかがめて俺の足元に魔法の光を当て始めた。
 変化は劇的だった。俺が乗った薪は、粘土細工のようにぐねぐねと形を変え始め、足首にまとわりついてきた。うねる木は足の甲まですっぽりと覆い被さり、やがて俺の足にぴったりの木靴が出来上がった。
 エマさんは仕上がりを確かめるように指先で何度も靴をなでると、満足した顔で手を離した。
「すごい……魔法みたいだ」
「何を言ってるんだ。今使っただろう」
 呆れたようにエマさんが言った。もっともな話だった。
 俺は二、三度地面を踏んで感触を確かめた。当たり前だが、サイズはぴったりで完全に足になじんでいた。
「木を変化させる魔法ですか?」
「少し違う。キミの足に沿って再成長させる魔法だ。木は成長の過程で異物を取り囲むように育つ性質があるからな」
 なるほど。結果は一緒かもしれないが、作用の仕方が違う、と言うことなのだろう。
「ああ、そうだ。出かける前にこれを渡しておく」
 エマさんが俺に差し出したのは赤茶色した素焼きの瓶だった。口のところは何か札のようなもので封がしてある。
「何ですか、これ?」
「お守りみたいなものだ。危険が迫ったら使え」
「ありがたく頂戴します」
 俺はそれを革袋に詰めた。
「くれぐれも気をつけていくんだぞ」
「わかってます。あ、食事は食料庫に作り置きしてますから、ちょっとずつ食べてください。あと野菜のスープは今日明日中に食べてください。洗濯ものは干してありますからちゃんと取り込んでくださいね。昨日までの分は畳んで、クローゼットに入れてあります。それと……」
「もういい」エマさんはうんざりした顔で言った。「キミは私の母親か?」
「あとなにかあったかな……」
「早く行きたまえ! レザン殿にはくれぐれも失礼の無いようにな」
 追い立てられるように俺は塔から離れた。
 ちらりと振り返ると、エマさんはずっと俺の方を見ていた。