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[序]マジカル大決戦-3

 空を振るわせる轟音が閉鎖空間を揺るがす。ハルカの放った一撃は、離れた場所からも余波を感じるほどに凄まじかった。
 そして途絶えた反応で、彼女が魔力の全てを使い果たしたことを知る。
 カレンとバーバラは瓦礫の渦の中から浮かび上がる光の球を見つけた。ペドリアン女王が神像という外殻を脱ぎ去った姿だ。 
 ハルカ達は目的を完全に果たしたのだった。 
「あのお馬鹿……こんな時にかっこつけちゃって」
「ハルカちゃんたち、大丈夫かな」
「のんきに人の心配をしている場合じゃないでしょう。今度は私たちの番ですのよ。まったくあなたという人は」
「そうだよね、私たちが頑張らないと」
「そういうことですわ。さあ、しっかり掴まって」
 多重結界構築。重力低減。斥力発生。収束。集中。力場生成。 
 人一人抱えて飛ぶことなど造作もない。バーバラにはそう言ってのけるだけの自負がある。 
 速さならば誰にも負けない。それが彼女の魔法少女としての矜恃。 
「限界まで、飛ばしますわよ」
 カレンを抱えたバーバラは、返事を聞くよりも先に加速した。 

 飛べ。もっと速く。ただ速く、速く。 
 誰よりも秀でたい、先にありたいというバーバラの願いの結実。それは速度という形で彼女に与えられていた。 
 目視できぬほどの速さと高精度の攻撃。その二つをもって彼女は誰よりも早く相手に一撃を加えてきた。それは今も変わらない。手持ちの最強の武器、魔法少女カレンを擁してペドリアン女王にぶつける、そのためにバーバラは飛ぶ。 
 連続展開される力場の反発力は際限のない加速を可能にし、結界と大気の接触面が摩擦で光の尾を引く。斥力の発生によって加速するだけでは自ずと限界がある。力場を使い捨てにすることで瞬発力を稼ぎ、それを速度に上乗せする。バーバラの加速力の秘密はそこにある。 
 ペドリアン女王の腕が輝き、目視できるほどの魔力を帯びた網を展開する。 
 張り巡らせた巨大な蜘蛛の巣は、砲弾となった二人の速度を相殺してあまりある強固なものだ。 
「こんなもので止められはしませんわよっ!」
 バーバラの叫び通り、二人は網をすり抜け、突き破るようにペドリアン女王へと肉薄する。 
 本来ならば二人で挟撃を仕掛ける予定だった。だが、女王が体勢を立て直すのが予想より速い。 
 二人で消耗するぐらいなら、無傷のカレンを女王の元へ届ける。バーバラはそう決心した。 
 女王の魔法に因る急激な消耗を自覚しつつも、バーバラは速度を落とさない。 
 二人は気づいていなかった。飛行魔法はすでに破られていることを。二人が飛んでいるのは別の力による事を。 
 少女の速さへの信仰は、加速度という物理制約を超え、「静止しながらにして移動する」という二律背反を実現する。 
 瞬きほどの時間に空間を連続して繋げることで、それは距離という軛から解き放たれる。 
 極度の集中と莫大な魔力消費を引き替えに成し遂げられる奇跡。いや、必然。 
 バーバラとカレンはそれを奇跡と認識しない。二人で誰よりも速く飛ぶと出来ると信じているからだ。 
 断続的な空間転移。彼女たちは、そこに居ながらにして既に居ない。 
 ペドリアン女王とて、そんなことが出来るとは思えなかった。 
 だが、破る方法は簡単だ。破壊力の大きい魔法で飽和攻撃を仕掛ければいいだけのこと。 
 もはや女王は躊躇わなかった。 
 この少女たちは、総合力では遠く及ばないとはいえ、その力を合わせたとき自分をも上回る力を発揮する。 
 殺傷力を持った魔法を極力避けていたが、もはや手加減の必要性はなかった。 
 彼女たちは、紛れもなく自分の敵だ。それも全てを賭けて戦うに値する敵だ。 
 女王は悲しかった。 
 彼女たちが理想を理解してくれないことを。 
 彼女たちが大人たちに騙され、戦いに駆り出されていることを。 
 守ると誓った子供を、自分の手で殺めなければならないことを。 
 その暗い瞳から血の涙を流すほどに、女王は悲しかった。 
 その悲しみは魔法に込められ、宙に浮かぶ無数の赤黒い槍となって具現化した。 
 城壁と見まごうほどの数の槍には、その一つ一つに永遠の眠りをもたらす魔法が込められている。 
 自分を弱らせて封印するため、彼女たちは捨て身で挑んでくる。あの小賢しい妖精たちの入れ知恵。 
 ならせめて安らかに。せめて痛みも苦しみも感じないように。

 アキはパニックに陥っていた。
 あんな数の魔法をぶつけられれば、どんなに強力な魔法を使っても防ぎきれない。
 しかし自分には二人を救う方法がない。他の三人もそうだ。ココノとハルカは魔力の全てを使い果たし、アンナも大魔法の行使で残存する魔力はたかが知れている。そして残された自分は、自覚するほどに無能だった。 
 どうしよう。どうしたらいい。助けて、助けて! 
 封印のための魔法に、妖精たちは力の全てを注いでいる。だがアキの恐慌した思念はそれさえもかき乱すほどに強烈だった。 
 獏のハクタクは、魔法への集中が途切れないように苦心しつつもアキの念話に答えた。 
「どうした、アキ」
「みんなが、みんなが死んじゃう! 凄い魔法が来るの! だめ!」
 アキの放つ思念は恐怖に満ちていた。 
 魔法少女となる前。
 彼女が家に引きこもる前まで同年代の人間から受け続けた虐めは、アキ自身の心に痛ましい傷を刻んでいた。その深いトラウマが、ただでさえ制御の難しい属性のコントロールをいっそう困難にしている。闇の力の持つ性質と、彼女自身の心の闇が、渦のように彼女の心を深みへと落とし込んでいく。
 恐慌し、暴走する。それは幾度となく繰り返されてきた光景だった。 
 彼女は、彼女自身が持つ驚嘆すべき能力を全く活かせていない。しかし年端もいかぬ子供に「己と向き合い乗り越えろ」などと単純に言えるほど、ハクタクは厳しくはなれなかった。 
「アキ、それはおまえがやるしかない。お前なら出来る」
「無理よ! だって、だってわたし、みそっかすだもん! みんなみたいな魔法は使えないの!」
 否定の思念がハクタクの脳髄を直撃する。 
 精神にかかる負荷を何とかいなし、ハクタクは穏やかに続けた。 
「おまえは自分の力を忌み嫌っていたな。だが闇の力は邪悪ではない」
 ハクタクは諭すように続けた。 
「強い日差しから誰が守る? か弱い動物たちの姿をだれが隠す? 闇の力はそのためのものだ。だがその強大さゆえに道を外して邪悪になるものもいる」
 ハクタクは述懐する。闇という力をアキは心から恐れていた。 
 彼女は浄化魔法を身につけられなかった。彼女の魔法は相手の魔力を根こそぎ奪う。だから、彼女の魔法に晒されたものは邪気もろとも魔力を奪われる。 
 彼女に触れた者が恐怖の叫びを上げるのは喪失感からだ。 
 それ故に、アキは自分が邪悪な魔法しか使えないのかもしれないと思い込んでいた。 
 自身には何の落ち度もないのに虐め続けられてきた、その原因を彼女は自分の魔法に求めてしまった。 
 けれどもそれは間違いなのだ。ハクタクは今まで何度もそうしてきたように彼女に説いた。 
「おまえはそうではないだろう、アキ。おまえは誰よりも優しい。だからこの力を与えられた。強く思え、失いたくないものを。誰かを傷つける力を、遠くへと押しやりたいと願え。闇とは遮る力だ。おまえの心が正しく強くあれば、お前の力で防げないものはない」
 ハクタクはそう伝えた後に、断腸の思いで念話を遮断する。これ以上は続けられない。 
 だが彼女は出来る。もう自分の力を必要としなくても力を使える。 
 これは賭けだ。 
 ハクタクは封印魔法に注力しつつも頭の片隅で思った。 
 勝つと判っている、賭けだと。

「ハクタクさん! ハクタクさん!?」
 アキは繰り返し叫ぶが答えは返ってこない。 
 念話による会話は言葉の何十分の一の時間で成し遂げられる。時間にして一秒も経っていない。 
 それでもカレンとバーバラはもう間もなく槍の射程に入ってしまう。 
 二人が倒されれば、自分も殺されるだろう。妖精たちも死ぬだろう。 
 死、という漠然としたものが明確な現実となって迫る。現実に恐怖し続けた彼女が、もっとも恐れるもの。 
 今まで誰も迎えてくれなかった自分を、唯一認めてくれた友達を失うこと。 
 誰も死なせない。死なせたくない。 
 みんなを守れるのが自分なら、自分の力がそのためにあるのなら、それは今しかない。 
 アキは立った。全身がわななく。怖い。逃げ出したい。 
 膝は萎え、両手はおこりに罹ったように震えたままだ。 
 それでも自分にしか出来ないというのなら、やるしかない。 
 女王がカレンとバーバラを指し示す。 
 宙に浮かんだどす黒い赤の魔法が矢の如く放たれる。 
 間に合え。 
 少女は高らかに叫んだ。 
 誰かに請われるのではなく、自分自身の言葉で。 
「闇よ! みんなを守る盾になれ!」
 掲げた両手に魔力が集中する。全身から魔力が根こそぎ奪われていく感覚。詠唱無しで行使される大魔法の負荷は、貪欲に内なる力を食んでいく。だが「守りたい」と言う強固な意志は身体的な負荷を凌駕する。 
 その巨大な消耗と引き替えに、魔法は発動した。 
 広げた両手から広がる闇。光さえ塗りつぶし、いや、内に光を秘めつつも広がる闇。 
 それは宇宙。 
 アキの両手から広がる星空は、無数に浮かぶ女王の魔法と対峙するまでに広がり、深紅の魔槍を飲み込み彼方へと消し去っていく。 
「綺麗……」
 どちらともなく呟き、束の間見とれる。 
 アキの作り出した星空のトンネルに守られながら、さらに距離を詰める二人。 
「カレンちゃん、バーバラちゃん、あと、おねが……」
 かすかに届く念話に後を押され、バーバラとカレンは飛ぶ。 
 女王は目の前だ。 
 胸元で印を結んでいるということは、別の魔法の仕込みに入っているということ。 
 間に合わないかもしれない。 
 カレンは自分に身を委ねている。それはバーバラなら女王の元へ絶対に自分を届けると信じているから。その期待に応えないわけにはいかない。 
「いいこと、カレン。今からあなたを切り離して女王のところへ飛ばすわ。後はあなただけが頼り。任せたわよ」
「わかった」
 カレンは頷き、杖を握りしめて呪文を紡ぐ。 
 この一撃で全部が決まる。

 女王は防壁を巡らせようとしていた。あと1秒もあればそれは完成する。
  残る少女は後二人。消耗戦に持ち込めば自分の勝ち、対等に戦っても自分の勝ち。大技は防がれたが、あの程度の技は少し間を置けば何度でも繰り出せる。
 目前に迫る少女たちの悲壮な覚悟を思うと心が痛むが、未来のために女王とて引くことは出来なかった。 
 子供たちだけの平和な楽園。汚れた心の大人たちを全て死滅させ、清い心を持った子供たちだけの理想郷を作る。なぜなら、そうでなければ、この世界はきっと滅んでしまう。 
 そのための罪は自分が負えばいい。 
 彼女は人間を愛していた。希望を打ち砕かれ、仲間が焼かれ、その無知と偏見により追われたとしてもなお愛していた。 
 愛しているが故に許せなかった。世界から悪の根源を取り除きたかった。 
 少女たちは幼い。この葛藤を理解はできまい。 
 だが彼女たちもまた正しい。それを理解しているが故に、女王は途方もなく悲しかった。

 転移魔法には十分な時間と魔方陣による緻密な術式を必要とする。
 しかし断続的な空間跳躍という離れ業を無意識のうちに行ったバーバラにとって、人間一人を短距離転移させることは不可能ではなかった。
 全魔力と引き替えに、カレンを魔法で包む。 
 飛べ、魔法少女カレン。

 残り数十メートルという距離を飛び越えて、少女は女王の目の前に現れた。

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