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[序]マジカル大決戦-2

「さて、大物の相手は任せるとして、こっちはこっちで出来る事をしよう。これから僕の魔法で二人を強化するから、ハルカがあれを倒したら、すぐに飛んで女王本体に奇襲をかけて。」
  ココノの提案にバーバラは首を振った。
「二人じゃありませんわ。それは全部カレンに使って」
「意地を張るのはいいけどさ、失敗したら元も子もないんだよ?」
「見くびらないでくださいます? あなたの手助けなんてなくても、人ひとり抱えて飛ぶなんて私には簡単なことですわ」
  ココノはため息をついた。バーバラの頑固は今に始まったことではない。
「ちぇっ。素直じゃないんだからなあ。まあいいや。じゃあ僕のありったけの魔力でカレンを強化する。でも何度も続かない。たぶん最初の一回だけだ。外さないで。
女王がどこにいるか判らないのは少し不安だけれど、あれだけの物を動かしているんだ。女王はあの巨人の中か、そうでなくても離れた場所には居ないはずだよ」
「ココノちゃんに私の魔力を上乗せした方がうまくいくんじゃないかな?」
  魔力の絶対量こそ少ないが、ココノの立ち回りは見ていて息を呑むほど巧みだ。手品師のように次々と技を繰り出し、最小の労力で相手を仕留める。
  その手管は妖精達でさえ老練な魔法使いが若返っているのではないかと疑ったほどのものだ。
  常に冷静さを保ち、精神面で他の5人を支えてきたのは紛れもなく彼女だ。皮肉屋の一面こそあったが、その内面は常に優しさと思いやりに溢れている。
  今まで誰も口には出さなかったが、最も優れた魔法少女が誰かと言えば全員がココノを思い浮かべるだろう。
  それでもココノは首を振って辞退した。
「いや、主役はカレンに譲るよ。僕はいつも枠の外にいるんだ。何でも出来るって言うのは何も出来ないのと一緒だからね」
  ココノは自嘲気味に笑う。
「そんなこと無いよ、ココノちゃんいつも私たちの真ん中にいたじゃない」
「初めて出来た友達だからね」ココノは聞こえないように呟いた。
「え?」
「なんでもない。さ、両手を出して。僕の全部をカレンに託すよ」
  伸びやかなソプラノに乗せて、ココノの呪文がカレンを包む。
  思えば、自分は何でも出来る子だった。これから先そうであるかは判らないけれど、今まで求められたことは全部出来た。
  パパが男の子が欲しいと判っていたから、男の子みたいな女の子にもなった。
  魔法だってそうだ。みんなに出来ないことを自分は出来た。
  みんなが使えない魔法の言葉も身に付けた。魔法の扱いに関しては、六人の中で一番上だという自負もある。
  でも本当は知っている。精一杯背伸びをしても、みんなよりちょっとだけ足りない。みんなが出来ることに、ほんの少しだけ届かない。いくら努力しても、本当の才を持つ者にはかなわない。
  だけど判った。
  自分の力は、人のために使える力だと。自分が誰かの背中を押すとき、自分に出来ないことも、相手に出来ないことも、可能に出来る。
  その想いをカレンの手に込める。
  カレンの持つ魔法の杖に自分の魔力の全てを移行する。術式は強化。浄化魔法を拡大展開し、蓄積した魔力を瞬間的に放出する。カレンの持つ魔法の特性を最大限に活かし、組み込まれた魔法を増幅するための術式を、複数編み込んだ特別製。出し惜しみは無しだ。
  喪失感に膝を折りながら、ココノはカレンの両手へ最後の魔力を込めた。
「さ、これでOK。後は頼んだよ」
  目眩が酷い。もともとの魔力量が少ないココノにとっては、大魔法の行使はすぐに魔力の枯渇に繋がる。魂を削り取られたような脱力感は、始めて魔法を使ったとき以来の感覚だった。初めてのときは戸惑いだったが、自らの意志で力の限りを尽くした今は、満足感が胸を満たしている。
「だ、大丈夫? ココノちゃん!?」
  心配そうにカレンがココノの顔をのぞき込んだ。
「僕はもう何も出来ない。だからここで見てる」ココノは晴れやかに笑ってそう言った。「さあ、行って」

「吹っ飛びやがれ!」
  ハルカは両手に火球を生成し、神像に向けて投げつける。 
  その闘志を具現化した爆裂魔法は、神像のあちこちで大規模な爆発を起こす。だが、爆圧で生じた弾痕は、そこに込めた浄化魔法も含めて瞬く間に修復されてしまった。 
「くそ。やっぱ全然効きやしないぜ。なんなんだあの化け物は」
  ハルカは舌打ちする。 
  単純な物理破壊能力では六人の中でも屈指のハルカだったが、神像の防御力はそれを上回っていた。 
「………魔力でもの凄く硬くなってるみたい」アキが暗い表情で呟く。
「あたしの魔法じゃ壊せないってか。ガラス細工みたいなくせして」
「えーと、えーと。ハルカちゃん?」
  アンナがおずおずとハルカの腕を引いた。 
「どうかしたか?」
「あのね、ハルカちゃんの言葉で、前におじい様から聞いたことを思い出したの。冷たいコップにお湯を入れると割れちゃうって。私とハルカちゃんで、おんなじことができるんじゃないかと思うの」
「アンナがあいつを冷やして、それからあたしが焼くってこと?」
「うん。うまくいくかどうか判らないけど……」
「あたしはアンナの言うことを信じるよ……っと」
  神像の投げた岩塊を飛び退いてかわす。 
「ここから凍らせられるか?」
「たぶん直接触らないと駄目だと思う」
「よし。じゃあ、あたしらが派手に暴れてあいつを釘付けにするから、その間に近づいて凍らせる。出来るか、アンナ?」
「う、うん。で、出来る……と思う」
「怖くないか?」
「すごく怖い」そう答えるアンナは傍目から見ても判るほどに震えている。
  ハルカはアンナを抱きしめて元気づけた。 
「凍らせたらすぐ逃げろ。そしたら次はあたしがやる」
「わ、わかった。が、頑張る」
「よし、いい返事だ。アキ、お前の魔法で」
「うん」
  闇属性の魔法を扱うアキの魔法には、気配を遮断し姿を隠す魔法がある。 
  アキはメモ帳を取り出して呪文を読み上げた。 
  禍々しささえ漂う黒い魔力はすぐに効果を発揮し、アンナの姿を覆い隠す。 
「ちゃんと消えてる?」
「ばっちり」
  ハルカが親指を立てる。 
「い、行ってくるね」
  かすかな足音が遠ざかっていく。 
「さて、あたしらは囮になるか」
  歯をむき出して笑うハルカの影で、アキが身震いした。

 後ろで爆発の音が聞こえる。
  振り返らず、静かに、足音を立てないように、そろそろと近づいていくアンナ。その巨体からすれば、亜麻色の髪の少女はあまりに小さく、儚い存在だった。
  見上げるほどの巨人は立て続けの爆発で足止めされている。 
  こんな大きな物を凍らせることが出来るのか。アンナは弱気になったが、頭を振って悪い方に考えないように努める。 
  アキの透過魔法は有効らしい。アンナは気づかれることなく巨人の横に回り込み、そのごつごつとした体躯に手を触れた。 
「感じ取るの」と彼女の魔法の先生はかつてそう言った。
  それが何で出来ているかを感じ取る。そして物そのものではなく、物が物であるための部分に働きかける。魔法で何かを変えるにはそれが一番確実な方法。 
  物はすべて「原子」という小さな粒でできている。凍らせるというのは原子の動きを止めること。 
  祖父は言った。「私の孫なんだ。なんだって出来るさ。魔法って言うのは出来て当たり前だから魔法と言うのだ」 
  バーンスタインの血は、そのためのもの。歴代の術者は全てを成し遂げてきた。その血はアンナにも色濃く流れている。不可能はない。全ては信じることから始まる。 
  極度の緊張は、アンナが持っていた固有魔法を本来の形で顕現させた。アンナの意識は神像を構成する物質の構造へと伸展し、あたかも砂へ水が染みこむように広がっていく。神像に触れた瞬間、彼女は「物事の本質を理解した」。 
  見える。女王の魔法のつながり、術式の全て。そして、それを構成している物質の動き。 
  経路を辿り、その一つ一つへと意識を拡散させていく。 
  女王本体が攻撃を仕掛けてこない理由がわかった。この神像は女王が核となって直接魔力を供給して動かしている。この異常な復元力や防御力は本体から供給を受けているからだ。 
  女王の魔力は強大だ。供給されている魔力の本流を凍らせることはアンナには出来ない。せいぜい末端を鈍くするだけだ。 
  でもそれで十分だ。ハルカなら絶対にやってくれる。ハルカは出来ないことを決して言わない。 
  アンナの思念が神像を覆い、そこからゆっくりと原子を停滞させていく。 
  物言わぬ岩に張り巡らされた魔力の経路を覆うように、流れを堰き止める。 
  大気の水分が凝固し、さらにまとわりつく。 
  神像は異変に気がついたが、払おうとする部位から凍り付き、瞬く間に動きを奪われていく。 
  原子のみならず術式さえも凍り付かせ、巨大な氷像と化した巨人から離れながらアンナは叫んだ。 
「ハルカちゃん!」
「おうよ!」
  慣れない光学魔法で牽制していたハルカが、アンナの呼び声に答える。 
  アンナは仕事を果たした。次は自分の番だ。 
  足下で爆発を起こし、反動で直進する。 
  魔法の言葉はついに覚えられなかったが、「そんなものはどうでもいい」と彼女をサポートしていたライオンのリチャードは言った。 
  前を見ろ、全力を尽くせ。 
  カラテ? だったか? あの先生が言っていたのと同じだ。どんな相手も打ち倒せると思え。 
  一点の曇りもなく信じたとき、それは現実となる。魔法とはそういうものだ。 
  両手の内に灯った炎は、その輝きを増しながら逆に縮んでいく。 
  ハルカは術式など意識していなかった。ただ眼前の敵を睨み付けながら集中した。 
  あれを倒さないと、封印は出来ない。女王の本体を引きずり出すのがあたしの仕事だ。 
  アンナのやってくれたことを無駄にしないために。 
  握りしめた右手の平に圧縮されたエネルギー体が生成されていく。臨界寸前、光さえも自己崩壊するほどの密度。ハルカの闘気は炎という形態から逸脱し、時間さえ退行して始まりの光へと集約する。可能性の原点、内に宿るは宇宙創生の光。 
  目標前方。大きく振りかぶり、右手の火球を叩き付ける。 
  圧縮されたエネルギー体の大きさは掌に収まってしまう程度。 
  だがそこに込められた魔力とその膨張がもたらす熱量は凄まじかった。 
  炸裂したエネルギーは表層を覆っていた氷を瞬時に蒸発させ、水蒸気となってあたり一面に濃密な霧を発生させる。 
  絶対零度の状態から超高温のエネルギーがもたらす熱衝撃は、わずかな傷しか付けることの出来なかった神像の巨躯に無数のひびを刻み込んだ。 
  魔力を使い果たし、右手の手甲が砕け散る。 
  だが、まだ左がある。 
  父が褒めてくれた左。先生が褒めてくれた左。そして、何よりも、アンナが格好いい、といってくれた自慢の左拳だ。 
  緩慢な動作でハルカを打ち払おうとする神像。ハルカが到達するのはそれよりもわずかに早い。 
  腰溜めにした左の拳に渦巻く炎は、赤を超え、白熱した光となって拳に宿る。 
  拳の威力とは、すなわち精度に集約される。全ての力を完璧なタイミングでヒットさせるという、ただそれだけのためにあらゆる格闘技の理論が存在すると言っても過言ではない。 
  輝く矢と化したハルカの精神は無我の境地に達し、自身の技量と可能性の全てが結実した今、その一撃は奇跡の領域に到達する。 
  それはあらゆる格闘技の最終地点。神話の実現。天地開闢、無を切り開く原初の一撃<ビッグバン・インパクト>。 
「りゃあああああああッ!」
  裂帛の気合いとともに至近距離から放たれたハルカの逆突きは、光の螺旋を伴い、神像の巨躯を打ち抜く。 
  拳によって打ち込まれた魔力の衝撃は、刻まれたヒビを経路として余すところなく拡散し、その秘めたる性質を開花させる。 
  それはあらゆる物を、アンナのために打ち倒したいというハルカの願望。その攻撃性は物質を粉砕するという固有魔法へと昇華し顕現する。 
  破壊の意志を伴う濁流は神像の構成原子を打ち砕き、無数の瓦礫へと変貌させた。 
  巨体が光と共に四散し、弾け飛ぶ。 
  しかし数十メートルの物体を砕いた反作用は凄まじく、ハルカは姿勢制御も出来ぬまま投げ出される。絶大な消耗は彼女から気力をも根こそぎ奪い去っていた。 
  混濁した意識のままで墜落していくハルカ。よしんば意識が明晰であったとしても、魔力を使い果たした彼女は空に投げ出された一枚の羽毛に過ぎない。 
  そのまま地表に激突するしかなかったハルカを受け止めたのは、他でもないアンナだった。 
  残存する魔力で飛行魔法を行使すると、消耗著しいハルカを後ろから抱きかかえて、地上へゆっくりと降りていく。 
  柔らかな感触を背に受けて、ハルカが意識を取り戻す。 
  濃密な疲労感の中、彼女を迎えたのは愛しい少女の笑みだった。 
「やったね、ハルカちゃん」
「かっこよかった?」
  と問うハルカへ、アンナは誇らしげに答える。 
「かっこよかったよ」
「そっか。へへ」
  笑ったハルカの身体から力が抜ける。 
「ハルカちゃん!?」
「だめ、打ち止めだ」
  まだ戦闘の最中ではあったが。 
「寝ててもいいよ。私が連れてってあげる」
  アンナに抱きかかえられて戦線を離脱するハルカは、この上なく幸せだった。

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