shadow Line

主人公が外道

以前より見たい見たいと思っていたカブトボーグをようやく見ることが出来ました。

まだ全話見ていませんが、主人公が無茶苦茶なうえ、話が何も解決しないで終わったり、オチを予告編で話してスルーしたり、ありとあらゆる不条理を詰め込んだ感じでスゲエ。アニメってこんな無茶苦茶なことやっても良いんだ。

凄く勉強になりますね。

主人公がどんな難癖を付けるのか、敵がどんな無茶な論理をかざしてくるのか、毎回が新鮮です。

自分も不条理なコメディを書くことがありますが、自分に足らないのはこういう狂気なのでは……と我が身を振り返ったりします。

狂気を認識できたらそれは狂気なのか、という本質的な問題はありますがもっとこう、創作は無責任にやってもいいのではないか? いや、やれ! 狂気と不条理が俺たちのエネルギーだ!

くらいハジケていきたい。

小説は特に「次はどうなるんだ? これから何が起こるんだ?」という魅力がないと、ページを読み進めて貰えないので、こういう展開作りから学ぶことが沢山在ります。

これは創作あるあるなのかも知れませんが、物を作ってないと可処分時間が大幅に増えます。つまり、それだけ何かを楽しむ時間が増えるので、得られる知識や体験の量が増えます。

創作活動ってひょっとして辛いことの方が多いのでは?

とふと疑問に思ったりもするのですが、物を作ってないととても落ち着かない。試しに一日ゲームしてみましたが罪悪感半端ない。

ひょっとして創作活動というのは楽しみであると同時に、呪いでもあるように思うのです。無邪気に作品を楽しむことは出来なくなるし、無心に楽しもうとしても観察者として事象を読み取ろうとしてしまう。作った物が報われるとも限らない。いや報われないこと、評価されないことがほとんどで、多くが埋もれていく。澄んだ水面に小石を投げれば波紋は起こるが、波間に石を投げても消えるだけ。

学術の世界では『巨人の肩の上に乗る』という表現がありますが、私の肩の上に誰かが乗って遠くを見る日はあるのか? 

と、物を作ってないと要らぬことを考えたりするので、呪われた身としてはとっとと次作に取りかかるのが良さそうです。