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POWER

 自分の好きな作家さんとかは、いつも危ういバランスで生きている人が多いような気がします。なんでだろう。

 波長が合ってしまうのか、たまたまそうなのか、共感するものがあって惹かれるのかはさておき、そういう危うさを持った人の作品は硝子細工のように儚くて、繊細な手触りを感じます。生きているのは辛いけど、とにかく前に進もうという力が垣間見える感じです。

 そういうものに愛おしさを感じますし、共感するし、こんな凄いものを作れる人は価値があるとも感じます。

 でも「貴方はそこに居てもいいのだ」と単純に言う事が正しいのかどうか、考えることがあります。

 手を差し伸べて、その手を握りしめて、さてそこから?

 全ては背負えない。人間の出来ることには限りがあるし、菩薩の如く全ては救えない。救えない者を思う時後悔せずに居られるのだろうか。魚を与えれば一日を生きられるが、魚の捕り方を教えれば一生食べるのには困らない。今日が最後の日でないなら。

 そういう思考実験を延々と演算してしまうのですが、普通の人はそんなに思考を続けないと最近知りました。 物語が囁いたり、自動筆記始めたり。

 そういうとき、ループに入ったように好きな作家さんのnoteを見たりするのです。

 貴方がいて、私が居る。接点はないけれど。

 そのことに妙な安心と、共感と、寂しさのようなものを感じます。なんでしょうね、これ。

 好きなものがこの世に存在してるって事は尊いし、凄い。自分の書いたものもそうだといいんですが。